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自然資本経営が企業収益を左右するネイチャーポジティブ新基準時代

by 鈴木 麻衣子
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自然資本が経営指標に変わる背景

ネイチャーポジティブは、自然保護部門だけの合言葉ではなくなっています。自然の損失を2030年までに止めて反転させ、2050年までに回復させるという目標は、企業の調達、設備投資、資金調達、開示、取締役会の監督責任に入り込み始めました。

背景にあるのは、自然の劣化が事業継続リスクへ変わった現実です。世界経済フォーラムは、世界の経済価値創出の44兆ドル超が自然とそのサービスに中程度または高度に依存すると示しました。WWFのLiving Planet Report 2024も、5,000種超の脊椎動物の個体群規模が1970年から2020年までに平均73%減少したと報告しています。水、土壌、森林、海洋、生物多様性は、もはや外部環境ではなく、企業価値を支える資本です。

本稿では、Nature Positive Initiative(NPI)が進めるState of Nature指標、TNFDやSBTNの実装フレーム、CBDの企業開示・資金目標を手掛かりに、自然を「収益に直結する経営資源」として扱うための論点を整理します。

NPIが設計する共通指標の狙い

NPIが強調しているのは、ネイチャーポジティブを曖昧なスローガンで終わらせず、測定可能な成果に変えることです。同イニシアティブは、ネイチャーポジティブを「2020年を基準に2030年までに自然損失を止めて反転させ、2050年までに完全回復を達成する」社会的目標として定義しています。この定義は、昆明・モントリオール生物多様性枠組の2030年ミッションと足並みをそろえています。

企業経営にとって重要なのは、自然への取り組みが「何を減らしたか」だけでは評価されにくくなる点です。温室効果ガスであれば排出量という比較的単純な指標がありますが、自然は場所、種、土地利用、水循環、地域社会との関係で意味が変わります。NPIがState of Nature指標に力を入れる理由は、企業や金融機関が、自然の状態そのものが改善しているかを判断できる共通言語を必要としているからです。

2020年基準で測る回復目標

NPIのState of Nature Metricsは、自然の回復を2020年基準で測るという考え方を前提にしています。ここで問われるのは、植林本数や保全費用の多寡ではありません。生態系の面積、状態、種の絶滅リスク、優先種の個体群動向などを通じて、対象地域の自然が実際に増え、健全になり、回復軌道に乗っているかを確認することです。

2026年2月から3月に実施された最終公開協議資料では、NPIは600超の自然状態指標を確認し、企業や金融機関が使いやすい最小限の指標群へ整理する方針を示しました。2025年の試行プログラムでは、29社が23カ国の50超のサイトで指標をテストしました。採石場、森林、鉱山、バイオ燃料供給地、太陽光発電所など、自然への依存と影響が異なる現場で検証された点が特徴です。

この動きは、経営管理の発想を変えます。自然関連KPIを単なる活動量から成果量へ移すからです。たとえば「水使用量を減らした」だけではなく、流域の水量や水質、生息地の状態が改善したかまで問われます。企業は、自社の敷地だけでなく、周辺景観、サプライチェーン、投融資ポートフォリオまで視野を広げる必要があります。

意思決定に使う状態指標

State of Nature指標の価値は、開示資料を整えることだけではありません。NPIの試行事例では、企業が既存データ、公的データ、衛星画像、現地調査、AIモデルを組み合わせ、自然関連リスクの高い地点を特定し、資源配分や土地選定へ使う可能性が示されています。

これは、自然資本を「コスト」から「投資判断の前提」へ移す変化です。セメント、鉱業、食品、繊維、エネルギー、不動産のように土地や水への依存が強い業種では、生産拠点の許認可、地域住民との関係、災害耐性、原材料の安定調達が自然の状態に左右されます。自然の悪化を早期に検知できれば、調達先の切り替え、保全投資、代替原料の開発、地域連携を前倒しできます。

一方で、指標は万能ではありません。NPIの資料も、遺伝的多様性、自然プロセス、自然が人にもたらす貢献、伝統的知識の扱いには今後の課題が残ると認めています。つまり、企業は「共通指標ができるまで待つ」のではなく、暫定的な測定と改善を始め、精度を上げていく段階的な姿勢が求められます。取締役会は、完全なデータがないことを言い訳にするのではなく、どのリスクを優先して測るのかを決める責任を負う局面に入っています。

開示制度と資金の流れを変える圧力

自然資本が経営の中心へ近づくもう一つの理由は、開示と金融のルールが変わっていることです。昆明・モントリオール生物多様性枠組は、2022年12月に採択され、2050年に向けた4目標と2030年に向けた23ターゲットを掲げました。その中で企業に最も直結するのが目標15です。大企業、多国籍企業、金融機関に対し、生物多様性に関するリスク、依存、影響を定期的に監視、評価、透明に開示するよう促し、特に大企業と金融機関には要求事項化を求めています。

この対象は、企業単体の工場や店舗にとどまりません。CBDの説明は、事業活動、供給・バリューチェーン、ポートフォリオを含めるとしています。つまり、食品メーカーなら農地と水資源、金融機関なら投融資先、不動産会社なら開発地の生態系、アパレル企業なら綿花や皮革の生産地までが、経営上の説明責任に入ります。

TNFDとSBTNが担う実装の役割

TNFDは2023年9月に最終提言v1.0を公表し、ガバナンス、戦略、リスク・影響管理、指標と目標という4本柱に沿って14の推奨開示を示しました。これは気候開示で広がったTCFD型の発想を自然へ広げる枠組みです。TNFDの2025年ステータス報告によれば、50超の国・地域の620組織がTNFDに沿った自然関連報告の開始を公表し、運用資産額は20兆ドルに及びます。500件超の第1世代・第2世代のTNFD報告も確認されています。

一方、SBTNは企業が自然に関する科学的目標を設定するため、評価、優先順位付け、目標設定、行動、追跡という5段階のプロセスを提示しています。土地、淡水、海洋の対象領域を通じて、企業がバリューチェーン全体の環境負荷と自然の状態を見極め、影響が大きい場所から目標を設定する設計です。NPIのState of Nature指標は、TNFDの開示やSBTNの目標設定に組み込まれる基礎データとして機能する可能性があります。

EUでも圧力は強まっています。欧州委員会は、CSRDの対象企業にESRSに基づくサステナビリティ報告を求め、最初の対象企業は2024会計年度について2025年に新ルールを適用すると説明しています。制度の簡素化や適用時期の見直しは進んでいますが、企業活動が環境に与える影響と、環境課題が企業に与えるリスクを同時に示す方向性は残っています。日本企業も欧州売上、現地子会社、サプライチェーンを通じて影響を受けます。

取締役会に移る自然関連リスク

自然関連リスクは、CSR部門や環境部門だけで処理できる範囲を超えています。原材料調達、操業許可、災害リスク、保険料、資金調達条件、ブランド毀損、訴訟、地域社会との関係が絡むためです。NGFSが中央銀行・監督当局向けに自然関連金融リスクの概念枠組を公表していることも、金融監督の文脈で自然が扱われ始めたことを示します。

CBDの目標18と19は、資金の流れそのものを変える圧力です。目標18は、生物多様性に有害な補助金などのインセンティブを2030年までに少なくとも年5,000億ドル削減・改革することを掲げています。目標19は、生物多様性のために2030年までに少なくとも年2,000億ドルを動員し、民間資金、ブレンドファイナンス、グリーンボンド、生物多様性クレジットなどの仕組みを促す内容です。

これらは、企業にとって規制コストだけを意味しません。自然回復に資本が流れるほど、再生農業、森林管理、水処理、低負荷素材、環境データ、保全型不動産、自然災害に強いインフラなどに新しい市場が生まれます。自然関連の取り組みを収益へ結び付けられる企業は、単にリスクを避けるだけでなく、顧客、金融機関、自治体との交渉力を高められます。

収益化を阻むグリーンウォッシュ懸念

ネイチャーポジティブ経営の最大の落とし穴は、自然への配慮をうたうだけで、損失を止める行動に結び付かないことです。自然は地域ごとの差が大きく、ある場所での保全活動が、別の場所での破壊を相殺できるとは限りません。単純な「ネット」発想に寄りかかると、希少な生態系や地域社会への影響を見落とします。

そのため、企業はまず回避を最優先にする必要があります。開発や調達で自然破壊を生む場所を特定し、避け、減らし、復元し、それでも残る影響を慎重に扱う順序が不可欠です。植林、寄付、自然体験イベントだけを前面に出しても、主要原材料の産地で森林転換や水質悪化が続いていれば、投資家や顧客からの信頼は得られません。

収益化にも時間軸のずれがあります。自然回復は四半期決算の速度では進みません。データ整備、現地調査、サプライヤーの協力、地域合意、長期モニタリングが必要です。短期の販促効果を狙うより、調達の安定、保険・災害コストの抑制、許認可リスクの低減、従業員や地域からの信頼確保といった経営効果を複合的に見るべきです。

もう一つの課題は、取締役会の監督能力です。自然関連リスクは、科学、法務、財務、サプライチェーン、広報をまたぎます。社外取締役を含む監督側が、TNFD報告の有無だけを確認しても不十分です。重要拠点や主要原材料の依存度、自然状態の悪化シナリオ、資本配分、役員報酬との連動、苦情処理の仕組みまで確認する必要があります。これはまさにコーポレートガバナンスの課題です。

経営者が来期予算で注視する論点

国内企業が最初に着手すべきなのは、全社的な自然リスクの棚卸しです。主要原材料、主要拠点、物流、販売地域、投融資先を並べ、自然への依存と影響が大きい領域を特定します。その上で、TNFDのLEAPアプローチやSBTNの評価手順を使い、優先地域からデータを集めることが現実的です。

次に必要なのは、自然関連KPIを事業部の予算と結び付けることです。自然資本は広報費ではなく、調達費、研究開発費、設備投資、保全投資、リスク管理費に関わります。水ストレスの高い地域での生産能力、森林転換リスクのある原材料、開発予定地の生態系、自然災害に弱い施設を、来期予算の前提に入れるべきです。

最後に、取締役会が自然を企業価値の議題として扱うことです。自然関連の開示は、形式的なレポート作成で終われば負担になります。しかし、資本コストの低下、供給網の強靭化、新市場の開拓、地域社会との信頼形成に使えば、競争力の源泉になります。ネイチャーポジティブは倫理だけでなく、収益と事業継続性を左右する経営の基本条件になりつつあります。

参考資料:

鈴木 麻衣子

企業経営・コーポレートガバナンス

企業経営・コーポレートガバナンスを専門に取材。経営戦略の成功事例から不正会計の構造的問題まで、企業の「あり方」を鋭く問う。

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