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有事でも金が上がらぬ理由 いまドル高と高金利が崩す安全資産像

by 田中 健司
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はじめに

地政学リスクが高まると、金は「最後に買われる資産」として注目されるのが通例です。実際、世界黄金協会は、大きな地政学イベントの発生週では金が上昇した例が全体の64%を占めると整理しています。ところが今回の中東危機では、戦闘初期に一時上げたあと、金はむしろ大きく売られました。

この逆説を理解するには、「有事だから金」という単純な図式では足りません。焦点は、ホルムズ海峡の混乱が原油高を通じてインフレ懸念を強め、その結果としてドルと米金利が上がり、金の保有コストを押し上げた点にあります。この記事では、なぜ2022年のウクライナ侵攻時とは異なる値動きになったのかを、市場構造の違いから整理します。

金が売られる市場構造

安全資産の主役交代

世界黄金協会によると、今回の危機の発端直後、金は2営業日足らずで約200ドル、率にして約4%上昇しました。ここだけ見れば、教科書通りの「有事の金」です。ところが、その後の流れは急変します。Reutersが3月23日に配信した市場記事では、2月28日の開戦以降でスポット金は15%下落し、1月の過去最高値からは22%低い水準にあると伝えました。

背景にあるのは、安全資産の受け皿が金だけではなかったことです。3月12日のReuters記事では、ドル高、米国債利回りの上昇、利下げ期待の後退が金の重荷になっているとされました。金は利息を生まない資産です。市場が「逃避先」として米ドルや米国債を選び始めると、金の魅力は相対的に下がります。今回は、危機そのものへの警戒よりも、「危機が米インフレを長引かせる」という読みが前に出たことで、金よりドルが買われやすくなりました。

もう一つ重要なのは、金相場の出発点です。世界黄金協会の1月レポートでは、金は1月だけで14%上昇し、5,000ドル台に乗せていました。すでに投機資金とETF資金が大きく積み上がっていた局面で新たな戦争が起きたため、初期の急騰後は利益確定売りも出やすかったとみられます。安全資産であっても、ポジションが偏っていれば、最初に売られることは珍しくありません。

原油高と利下げ後退の逆回転

今回の危機を特殊にしたのは、ホルムズ海峡の機能不全がエネルギー価格を直接押し上げたことです。IEAによると、海峡は2025年平均で日量2,000万バレルの原油・石油製品が通過し、世界の海上石油取引の約25%を担っていました。代替できるパイプライン余力は3.5〜5.5百万バレル程度にとどまり、完全な代替は困難です。IEAは3月、紛争後の通過量が開戦前の10%未満に落ち込んだと説明しています。

供給制約は、ただちに金に追い風にはなりませんでした。Reutersの3月19日配信によれば、原油価格は一時1バレル118ドルを上回り、米国のガソリン平均価格は開戦前比で約30%高い3.88ドルまで上昇しました。FRBはインフレ見通しを引き上げ、市場では年内の利下げ観測が後退しました。金は本来インフレヘッジでもありますが、短期的には「インフレが強いほど金利が高止まりする」という連想の方が強く働きます。結果として、インフレ懸念が金買いではなく、ドル買いと金売りにつながったわけです。

国連貿易開発会議(UNCTAD)も、ホルムズ海峡の混乱でブレント原油が90ドル超へ上昇し、保険料や輸送費、肥料コストまで押し上げていると指摘しました。市場が恐れたのは、単なる戦争ではなく、戦争がもたらす「広い物価ショック」です。この局面では、金は危機ヘッジであると同時に、高金利の逆風を受ける資産でもあります。その二面性が、今回の下落を説明します。

2022年との違い

ウクライナ侵攻時の金高

2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻時、世界黄金協会は金が月間で6%上昇し、1オンス1,910ドルに達したとまとめています。そこでは、安全資産需要が名目金利上昇やドル高を上回り、金ETFには20億ドル、35トンの資金が流入しました。つまり当時は、「有事による不確実性」が金買いを正面から支える構図が成立していました。

このとき市場が意識したのは、エネルギー高が景気を冷やし、中央銀行が想定通りに引き締めを進めにくくなる可能性です。世界黄金協会も、インフレ高進と景気減速が同時に進めば、政策判断は難しくなり、金需要を支えやすいと分析していました。高インフレでも、金融引き締めの持続性に疑問があれば、金は買われやすくなります。

2026年のドル優位と高金利

一方、今回は市場の読みが逆でした。Reutersの3月23日記事では、今回のイラン戦争はインフレ懸念を強め、利下げ期待を後退させ、短中期では金に逆風だと整理されています。Reutersの3月12日記事でも、ドル高と利回り上昇が中東の武力衝突による安全資産需要を打ち消しているとの見方が示されました。

つまり、2022年は「インフレが景気を痛め、中央銀行を縛る」シナリオが意識され、2026年は「インフレが残り、中央銀行は高金利を長引かせる」シナリオが意識されたわけです。両方ともエネルギー高は起きていますが、その先の金融政策の想定が違います。この違いが、金とドルの相関を反転させました。

加えて、今回はドル自体が有事の逃避先として機能しています。ドルが強くなると、ドル建ての金は非米国投資家にとって割高になります。2022年にもドル高はありましたが、当時はそれ以上にETF流入や安全資産需要が勝りました。今回はその力関係が逆転し、「金よりドル」の色合いが鮮明です。

注意点・展望

注意したいのは、「金はもう安全資産ではない」と結論づけるのは早い点です。世界黄金協会は、極端なショックの初期段階では流動性確保の売りが安全資産需要を上回ることがあると指摘しています。Reutersも、短期は不安定でも、長期では価値保存手段としての役割が再び強まる可能性を伝えました。

今後の焦点は二つあります。第一に、ホルムズ海峡の混乱が長引き、原油高が定着するのか。第二に、その結果として、各国中銀が本当に高金利を長く維持するのかです。もし景気悪化が前面に出て利下げ観測が戻れば、金は再び買われやすくなります。逆に、原油高とドル高が同時に続くなら、金は安全資産でありながら上がりにくい時間帯が続く可能性があります。

まとめ

今回の金安は、「戦争なのに金が売られた」のではなく、「戦争が原油高とインフレ高止まりを招き、ドルと金利を押し上げた結果、金が売られた」と整理すると理解しやすくなります。安全資産としての金の性格は消えていませんが、短期の価格形成では金利とドルの力が上回りました。

2022年との最大の違いは、地政学ショックのあとに市場が何を恐れたかです。景気悪化と政策制約を恐れれば金高に向かいやすく、インフレ再燃と高金利長期化を恐れれば金安に向かいやすい。金を見るときは、戦争そのものではなく、その戦争が中央銀行の選択肢をどう変えるのかまで読む必要があります。

参考資料:

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