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DX停滞を招く老朽システム刷新と日本企業の業務理解の壁の正体

by 鈴木 麻衣子
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老朽システム刷新がDXの前提になる理由

日本企業のDXが進まない理由は、古いプログラム言語やメインフレームだけでは説明できません。経済産業省が2025年5月にまとめたレガシーシステムモダン化委員会の総括レポートは、問題を「技術の老朽化」「システムの肥大化・複雑化」「ブラックボックス化」に加え、「IT投資不足」や「古い制度としがらみ」まで広げて捉えています。

つまり、老朽システムは情報システム部門だけの技術課題ではなく、経営判断、業務改革、人材配置、委託契約が絡み合った企業統治の問題です。システム刷新が止まると、データ活用も生成AI導入も部門最適のまま広がり、企業価値を生むDXに届きにくくなります。競争力の差は、最新ツールの有無よりも、変えられる業務基盤を持つかどうかに表れます。本稿では、なぜ業務理解が難しくなったのか、どの統治不全が刷新を遅らせるのかを整理します。

業務理解を難しくする日本企業の構造

現行踏襲が積み上げる見えない仕様

老朽システム刷新で最初に立ちはだかるのは、古い技術そのものよりも「現行業務を正しく理解できない」という壁です。30年、40年前の基幹システムは、当時の業務手順をそのままコードに写しただけではありません。取引先ごとの例外、担当者の判断、部門間の調整、制度改正への場当たり的な対応が、長年の改修で積み重なっています。

この蓄積は、現場から見ると「いつもの処理」です。しかし、刷新プロジェクトから見ると、文書化されていない仕様、誰も全体像を説明できないデータ連携、停止させると影響範囲が読めないバッチ処理として現れます。経済産業省の2018年のDXレポート関連資料でも、約8割の企業が老朽システムを抱え、約7割がDXの足かせだと感じている状況が示されました。問題は早くから認識されていたのに、業務の棚卸しが進まなかったのです。

2025年の総括レポートでも、モダン化の障壁として、既存システムの複雑さやデータ移行の難しさに加え、現行機能保証や現行踏襲への強い要望が上位に挙げられています。ここで重要なのは、現行踏襲が単なる保守的態度ではない点です。現場は、例外処理をなくしたときに売上計上、在庫、請求、与信、顧客対応がどう変わるかを背負っています。経営が業務変更の責任を明確にしないまま「標準化」を求めても、現場は既存機能の維持を要求せざるを得ません。

その結果、刷新プロジェクトは「新しい基盤に古い業務を載せ替える」作業になります。標準パッケージを導入しても、個別カスタマイズが増え、移行コストは膨らみます。クラウドに移しても、データ形式や承認経路が古いままなら、再び変更しにくいシステムになります。業務理解が難しいのは、業務が高度化したからだけではありません。過去の意思決定が記録されず、誰の責任で変えるのかが曖昧なまま残っているからです。

委託依存で失われるITの自律性

日本企業のもう一つの構造問題は、ユーザー企業とベンダー企業の関係です。2025年の総括レポートは、多くのユーザー企業がベンダーに依存し、IT人材が過度にベンダー側へ偏った結果、ユーザー企業のIT自律性が低下したと指摘しています。受託開発を長期安定ビジネスとして維持してきたベンダー側にも、個社ごとの作り込みから抜けにくい事情があります。

この構造では、業務を知る人とシステムを知る人が別々の組織に分かれます。事業部門は「業務は説明した」と考え、情報システム部門は「仕様はベンダーが知っている」と考え、ベンダーは「発注された範囲を実装した」と考えます。いざ刷新が必要になると、業務ルール、設計思想、データ定義、運用手順の責任境界が曖昧になり、誰も全体を引き受けられません。

この状態でDXを掲げても、現場の小さな改善やSaaS導入は進む一方、基幹データを横断的に使う変革は進みにくくなります。JEITAのITユーザトレンド調査では、IT関連予算を情報システム部門が一括管理する企業が44%とされる一方、利用部門が独自に運用するシステムの存在にも触れられています。予算と運用が分散すれば、スピードは上がる面がありますが、全社のデータ統制やセキュリティ統制は難しくなります。

業務理解を取り戻すには、技術者に業務を勉強させるだけでは足りません。業務部門がデータ定義やプロセス変更に責任を持ち、情報システム部門がアーキテクチャとリスクを説明し、経営が部門間の利害調整を決める仕組みが必要です。委託先に丸投げする契約から、内製化と伴走支援を組み合わせる関係へ変えなければ、刷新後も同じブラックボックスが再生産されます。

投資判断を遅らせるガバナンスの空白

コスト扱いが固定する技術的負債

老朽システムの刷新が後回しになる最大の理由は、投資判断の難しさです。新規事業や営業施策と違い、基幹システム刷新は「動いているものを置き換える」投資に見えます。短期的な売上増加を説明しにくく、障害が起きるまでは緊急性も伝わりにくい。こうして、修繕費のような保守予算でしのぎ続け、技術的負債が経営上の負債へ変わっていきます。

経済産業省のデジタルガバナンス・コード3.0は、DXに投じる資金をコストではなく価値創造への投資と捉え、DX推進はIT部門だけでなく経営陣や取締役会の役割だと明記しています。この表現は重い意味を持ちます。老朽システムの刷新は、CIOや情報システム子会社だけに説明責任を押しつける案件ではなく、取締役会が事業継続、競争力、人的資本、サイバーリスクをまとめて監督する案件だからです。

JUASの企業IT動向調査2025では、2024年度計画のIT予算DI値が42.3ポイント、2025年度予測も40.6ポイントと高い水準にあります。IT予算は増えていますが、同調査は物価高、クラウドランニングコスト、サイバーセキュリティ対策などにより、現行維持・運営のランザビジネス予算が重く、バリューアップ予算比率が横ばいであることも示しています。予算増がそのまま変革投資に回っているわけではありません。

ここに経営管理上の落とし穴があります。IT予算全体が増えていると、経営会議では「DX投資を増やしている」と見えます。しかし内訳を見ると、値上げ対応、保守期限対応、セキュリティ対応、クラウド利用料の増加で吸収され、老朽システムの根本的な整理には届いていない場合があります。投資の質を見ないガバナンスは、技術的負債を温存するだけでなく、将来の選択肢を狭めます。

KPI不在が隠す維持費の膨張

投資判断をさらに曖昧にしているのが、IT投資評価の不足です。JUASの調査概要は、4割近い企業でIT投資評価が未実施であり、既存システムのランニングコスト評価実施率も3割程度にとどまるとしています。維持費を測らず、障害リスクを数値化せず、変更にかかる期間を追跡しなければ、老朽システムの深刻度は経営から見えません。

この状態では、刷新プロジェクトの稟議は「高額で長期間のIT案件」に見えます。反対に、何もしない選択肢は「現状維持」に見えます。しかし実際には、現状維持にも保守人材の高齢化、ベンダーロックイン、セキュリティ脆弱性、障害時の復旧遅延、データ活用機会の喪失というコストがあります。これらを財務情報に近い形で示さなければ、経営は刷新の必要性を判断できません。

2025年の総括レポートは、モダン化を決断する契機について、大規模障害や保守要員の離脱など受動的な要因が上位を占めると分析しています。外部環境の変化を予見し、経営層のトップダウンで自律的に決断する企業はまだ少ないという指摘です。障害が起きてから動く企業は、平時なら選べた移行方式、段階的刷新、人材育成の時間を失います。

ガバナンスとして必要なのは、刷新を一度の大型案件として承認することではありません。システム別の保守期限、年間維持費、障害件数、変更リードタイム、データ連携の制約、属人化している運用作業、標準化できない業務例外を、継続的に取締役会へ報告することです。KPIがあれば、刷新は「情報システム部門の要望」ではなく、事業リスクを減らし成長余地をつくる経営課題として扱えます。

生成AI時代に再レガシー化を防ぐ条件

生成AIの普及は、老朽システム問題を見えにくくする面があります。文書作成や問い合わせ対応など、既存システムと深く結合しない用途では効果を出しやすいからです。JUASの調査でも、言語系生成AIは生産性向上を目的に導入が進んでいるとされます。一方で、IPAのDX動向2025データ集は、日本では生成AIへの前向きな取り組みが米国やドイツに比べて低く、部署の業務プロセスに組み込まれている割合も低いと示しています。

本当に価値を生むAI活用には、正しい業務データ、統一されたマスタ、説明可能なプロセス、部門横断の権限設計が欠かせません。受注、在庫、顧客、契約、会計のデータ定義がばらばらなままでは、AIは現場の補助ツールにとどまり、経営判断や事業モデルの変革には届きません。老朽システム刷新は、AI導入の前段階ではなく、AIを業務に組み込むための土台です。

また、刷新後のシステムも放置すれば再レガシー化します。経済産業省の総括レポートは、メインフレームから脱却済みでも、運用維持保守に問題があれば再レガシー化する可能性があると整理しています。クラウド、SaaS、マイクロサービス、APIを採用しても、データ定義を管理せず、標準機能を個別改修で崩し、業務変更の責任者を置かなければ、数年後に同じ問題が戻ります。

注意すべきは、AI導入が既存業務の棚卸しを省略する理由になりやすい点です。生成AIで帳票作成や問い合わせ対応を効率化しても、背後の承認ルール、マスタ管理、例外処理が曖昧であれば、誤ったデータを速く処理するだけになります。AI活用を理由に個別部門が独自ツールを増やすと、データの所在、利用権限、監査証跡がさらに散らばります。これは「モダンな技術で作られた新しいレガシー」です。

防止策の中心は、人材と統治の組み合わせです。IPAのデジタルスキル標準は、全てのビジネスパーソンがDXリテラシーを身につけ、業務知見を持つ人材と専門人材が協働する必要性を示しています。業務を知る人がデータとシステムを理解し、技術者が事業の収益構造を理解する。その接点を担うビジネスアーキテクトやプロダクト責任者を育てなければ、刷新は単なる移行作業で終わります。

取締役会が確認すべき刷新の論点

老朽システム刷新を進める企業がまず問うべきことは、「どの技術に置き換えるか」ではありません。どの業務を標準化し、どの例外を競争力として残し、どのデータを全社資産として管理するのかです。ここを経営が決めない限り、現場は現行踏襲を求め、情報システム部門は調整役に追われ、ベンダーは個別要望を実装し続けます。

取締役会は、少なくとも三つの論点を定期的に確認する必要があります。第一に、老朽システムが事業継続や成長投資をどれだけ制約しているか。第二に、維持費、障害、変更リードタイム、属人化の実態が数値で管理されているか。第三に、業務部門、IT部門、外部ベンダーの責任分担が、刷新後の運用まで含めて設計されているかです。

上場企業であれば、システム刷新は投資家との対話にも関わります。デジタルガバナンス・コード3.0が企業価値向上を強調する以上、DX投資の説明は「システム更新費用」では足りません。どの事業KPIを改善し、どのリスクを低減し、どの人材能力を社内に残すのかを語る必要があります。これは、人的資本やサイバーセキュリティの開示と同じく、企業統治の品質を測る材料になります。

DXの停滞は、現場のITリテラシー不足だけで起きているわけではありません。過去の例外を整理せず、投資評価を曖昧にし、委託構造に依存してきた経営の履歴が、老朽システムとして残っています。刷新の成否は、コードを書き換える力よりも、会社が自らの業務と責任を可視化する覚悟にかかっています。

参考資料:

鈴木 麻衣子

企業経営・コーポレートガバナンス

企業経営・コーポレートガバナンスを専門に取材。経営戦略の成功事例から不正会計の構造的問題まで、企業の「あり方」を鋭く問う。

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