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有事のドル買い縮小でも円安が止まらない日本経済と市場構造の実相

by 鈴木 麻衣子
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はじめに

為替市場では、中東情勢が緊張しても以前のような一方向のドル買いが続きにくくなっています。実際、FRBのH.10統計では、米ドルの広範指数は2026年4月6日の120.4302から10日に118.8552へ低下しました。それでもドル円は同じ期間に159.71円から159.22円と小幅な円高にとどまり、円の戻りは極めて鈍いままです。

この動きを「ドルが強いから円が弱い」とだけ整理すると、足元の実態を見誤ります。問題の核心は、ドル買いが弱まってもなお円が買われにくいことにあります。日本銀行の実効為替レートでは、円の名目指数が2026年2月に70.10、実質指数が67.03まで低下しました。これは対ドルだけでなく、幅広い通貨に対して円の競争力が落ちていることを示します。本稿では、なぜ市場が「リスクオフでもリスクオンでも円売り」と受け止めるのかを、ドル指数、金利差、原油、貿易収支、所得収支の五つの材料から読み解きます。

ドル買い鈍化と円安継続の市場構図

安全資産としてのドル需要の変調

まず確認したいのは、足元でドルそのものは全面高ではないという点です。FRBのH.10によると、4月6日から10日にかけて米ドルの広範指数は120.4302から118.8552へ低下しました。同じ週にユーロは1ユーロ=1.1545ドルから1.1723ドルへ、豪ドルは1豪ドル=0.6919ドルから0.7078ドルへ上昇しており、地政学リスクが残る局面でも「とにかくドルだけを買う」動きは後退していたと読めます。

にもかかわらず、円はその受け皿になりませんでした。FRBの統計ではドル円は159.71円から159.22円へと、ほぼ横ばい圏です。さらに日本銀行の説明どおり、ユーロ円はドル円とユーロドルから計算できます。4月6日のユーロ円はおよそ184.39円、10日には186.65円まで上昇します。豪ドル円も110.50円前後から112.70円前後へ切り上がります。ドル買いが縮んでも、ユーロや資源国通貨に対して円安が進んだ構図です。

ここに今の市場の違和感があります。従来の教科書的な相場観では、リスク回避局面ではドルと円がともに買われやすく、リスク選好局面では円が売られやすいという整理が一般的でした。しかし足元では、ドルが全面高でない場面でも円だけが取り残されています。市場が見ているのは、米国要因よりも日本固有の弱さです。

実効為替レートが示す全方位の円安

この点を最も端的に示すのが実効為替レートです。日本銀行の主要時系列統計では、円の名目実効為替レートは2025年1月の73.87から2026年2月に70.10へ、実質実効為替レートは同じく71.35から67.03へ低下しました。実質指数は1995年の160台や2010年代前半の130前後と比べても大幅に低く、少なくとも過去30年を振り返ると極端に弱い水準です。

実効為替レートが重要なのは、ドル円だけでは見えない「通貨の総合点」を示すからです。ドル円が159円台で一進一退でも、ユーロ円や豪ドル円が上がり、アジア通貨に対しても円が弱ければ、日本の輸入価格や企業の仕入れコストには円安圧力が残ります。対ドルでの値動きが鈍くても、家計や企業が感じる円安は止まっていないということです。

このため、円の実態をみるにはドル円だけを追っても不十分です。むしろ、ドルの安全資産需要が一服している局面で実効レートがさらに下がるなら、それは円が独自に売られていることを意味します。足元の相場が厄介なのは、ドル高が剥落しても円高が起きるとは限らない点にあります。

円売りを固定化する日本固有の要因

金利差だけでは終わらない資金循環

第一の要因は、依然として大きい日米金利差です。FRBは2026年3月18日に政策金利の誘導目標を3.50〜3.75%に据え置きました。これに対し、日本銀行は3月19日の金融政策決定会合で、無担保コール翌日物金利を0.75%程度で推移するよう促す方針を維持しました。単純比較でも約3ポイントの差が残り、円を調達して外貨建て資産へ振り向ける誘因はなお強い状態です。

もっとも、足元の円安は金利差だけでも説明し切れません。IMFの2026年2月の対日4条協議声明は、ドル円が近年は日米金利差におおむね連動してきた一方、2025年半ば以降はその関係が一貫して崩れていると指摘しました。さらに、円先物のポジションが金利差では説明できない円の値動きと結びついているとも述べています。これは、投機的なポジションや円を資金調達通貨として使う取引が、相場の弱さを増幅している可能性を示唆します。

日本銀行自身も、1月の展望レポート要旨で、基調的なCPIは緩やかに上昇する一方、全体の消費者物価の伸び率は2026年前半に2%を下回る可能性が高いとみています。統計局の最新指標でも、2026年2月の全国CPI上昇率は前年比1.3%です。物価が落ち着きつつある環境では、日銀が急ピッチで利上げして円の調達コストを一気に引き上げるシナリオは市場に織り込まれにくいままです。

原油高が増幅する交易条件の悪化

第二の要因は、日本がエネルギー輸入国であることです。EIAによると、2026年1-3月期の原油価格は中東の軍事行動とホルムズ海峡の事実上の閉塞を受けて急騰し、ブレント先物は四半期末に1バレル118ドルまで上昇しました。日次データでもWTIは4月6日に114.01ドルを付け、その後も4月13日に100.72ドルと高水準でした。原油の水準が高いままだと、日本では円安そのものが輸入価格上昇を通じて追加の円売り材料になります。

貿易統計にもその影響は出ています。2026年2月の日本の輸入額は9兆5153億円で、前年同月比10.3%増でした。輸出は9兆5596億円で、貿易収支は442億9700万円の小幅黒字にとどまります。地域別にみると、中東からの輸入は8585億5800万円に対し、輸出は4326億5700万円で、4259億円の赤字でした。中東向けの大幅赤字は珍しいことではありませんが、原油高局面ではこの赤字が膨らみやすく、円の実需面での重しになります。

市場が円を買いにくいのは、円高になると日本のエネルギー調達不安が和らぐ一方、円安が続くと交易条件の悪化が家計と企業の双方を圧迫するからです。原油高と円安が同時に進む局面では、実需の企業は先回りして外貨を確保しやすくなります。結果として、地政学リスクが和らいでドル買いが減っても、円買いにはつながりにくくなります。

貿易黒字ではなく所得黒字で支える対外収支

第三の要因は、日本の対外収支の稼ぎ方そのものが変わっていることです。財務省・日本銀行の2026年1月国際収支統計では、経常収支は9416億円の黒字でした。ただし内訳を見ると、貿易収支は6004億円の赤字で、サービス収支も7153億円の赤字です。黒字を支えたのは第一次所得収支の2兆7466億円で、直接投資収益や証券投資収益が稼ぎ頭になっています。

これは一見すると日本経済の強みですが、為替には複雑な影響を与えます。海外で稼ぐ所得が増えるほど、日本の対外収支は貿易よりも資産収益に依存します。言い換えれば、国内で輸出して円を受け取る構造より、海外で保有する株式や債券からドルや現地通貨で収益を受け取る構造が強まっているということです。経常黒字国であっても、その黒字がただちに円買い圧力へ戻るとは限りません。

しかも、所得収支の黒字は円の安全資産性を高めるより、むしろ海外資産保有の拡大を正当化します。日本にとって外貨建て資産の果実が大きいほど、投資家は円を保有するより外貨建てで運用する方を選びやすいからです。現在の円安は、「国が貧しいから」ではなく、対外黒字の中身が貿易から所得へ移り、外貨を持ち続けることが合理的になっている面もあります。

政策対応と市場の見方の交錯

日銀正常化の遅さと介入不在のメッセージ

政策面では、日本銀行が正常化を進めてはいるものの、相場の期待を大きく変える速度には達していません。3月19日の声明では、海外経済に弱さがみられることや、通商政策の不確実性を挙げつつ、緩和度合いを慎重に調整する姿勢が示されました。市場から見れば、0.75%への引き上げは「歴史的には正常化」でも、国際比較ではなお低金利です。

加えて、財務省の月次公表では、2026年1月29日から2月25日、2月26日から3月27日のいずれの期間も為替介入額は0円でした。もちろん、介入がなければ必ず円安が進むわけではありません。ただ、少なくとも足元では、当局が相場の速度に強い不快感を示しても、実弾投入で流れを変える局面には至っていないと市場は受け止めやすくなります。

その結果、円は「金利で劣り、原油高に弱く、当局もすぐには反転させない通貨」と見なされやすくなります。これが、ドル買いが縮んだ程度では円が反発しにくい理由です。

円相場を見るうえでの焦点整理

今後の焦点は三つです。第一に、FRBの利下げ時期がさらに後ずれするかどうかです。FOMC議事要旨では、中東情勢によるエネルギー価格上昇が近い将来のインフレを押し上げる可能性が繰り返し議論されました。米金利が高止まりすれば、円の調達通貨としての使われ方は続きやすくなります。

第二に、原油価格が100ドル前後で定着するかどうかです。日本にとっては、原油高が単なるインフレ要因ではなく、輸入代金の増加を通じた円売り要因になります。特にホルムズ海峡の混乱が長引けば、ドル指数が上がらなくても円の実効レートが下がる展開は十分ありえます。

第三に、ドル円ではなく実効レートとクロス円を見ることです。ドル円が160円近辺で足踏みしても、ユーロ円や豪ドル円が上値を追えば、企業の仕入れや家計の物価負担にとっては円安が進んでいるのと同じです。円の「実相」は、対ドルの見かけ以上に弱いという視点が欠かせません。

注意点・展望

足元の円安を「投機筋の仕掛けだけ」とみるのは不正確です。IMFが指摘するようにポジションの影響はありますが、その背景には日米金利差、原油高、所得収支依存という構造要因があります。短期筋が一時的に手じまえば反発はあっても、構造が変わらない限り円高は持続しにくい局面です。

一方で、円安が無制限に進むとも限りません。原油価格が落ち着き、FRBが利下げ方向を明確にし、日銀が追加利上げに前向きなシグナルを出せば、円は対ドルでも対主要通貨でも戻りやすくなります。加えて、為替介入が再び現実的な選択肢とみなされれば、投機的な円売りは巻き戻されやすくなります。

ただし現時点では、その三条件が同時にそろう気配は薄いままです。だからこそ市場では、「有事のドル買いがしぼんでも円売りは止まらない」という評価が広がっています。円相場はもはや、ドルの鏡像ではなく、日本のエネルギー制約と金融政策の遅さを映す価格になっています。

まとめ

安全資産としてのドル買いが弱まっても円安が止まらないのは、今の円相場が米国要因より日本要因で動いているためです。実効為替レートは歴史的低水準に沈み、日米金利差はなお大きく、原油高は交易条件を悪化させ、経常黒字は貿易ではなく所得収支で支えられています。ドルが全面高でなくても、円だけが選ばれにくい条件がそろっているのです。

今後の見極めでは、ドル円の方向感だけでなく、実効レート、ユーロ円や豪ドル円、原油、経常収支の内訳まで合わせて追う必要があります。円安の実相は、対ドルの値動きよりもはるかに立体的です。そこを押さえると、足元の相場がなぜこれほどしぶといのかが見えてきます。

参考資料:

鈴木 麻衣子

企業経営・コーポレートガバナンス

企業経営・コーポレートガバナンスを専門に取材。経営戦略の成功事例から不正会計の構造的問題まで、企業の「あり方」を鋭く問う。

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