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円急伸で152円台、独歩高を生んだ日銀観測と賃金の転機を解説

by 渡辺 由紀
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152円台への急伸が示す相場の地殻変動

2026年9月8日の東京外国為替市場で円相場は一時1ドル=152.89円まで上昇し、2月17日以来の円高水準を付けました。前日午後5時の155円台半ばから約2円上昇し、前週までの160円前後から流れが一変しています。

今回の特徴は、ドルだけでなくユーロや豪ドルなどに対しても円が買われたことです。9月8日未明時点の月初来対ドル騰落率では、円が3.47%高とG10通貨の首位に立ち、2位のノルウェー・クローネを大きく引き離しました。ドル全面安では説明できない「円独歩高」です。その背景と、企業の賃上げ・採用、働き手の生活に及ぶ影響を検証します。

円独歩高を生んだ三つの買い圧力

日銀利上げ観測を強めた賃金と成長率

第一の圧力は、日本銀行が利上げを速めるとの観測です。日銀は7月31日の金融政策決定会合で、無担保コール翌日物金利を1.0%程度に誘導する方針を維持しました。ただし、高田創審議委員は海外発の需要ショックによる物価上振れリスクなどを理由に、1.25%への引き上げを提案しています。

9月8日に発表された7月の毎月勤労統計も、利上げ観測を補強しました。持ち家の帰属家賃を除く消費者物価で調整した実質賃金は前年同月比2.4%増え、7カ月連続のプラスとなりました。基本給に相当する所定内給与は4.1%増で、3%以上の伸びが7カ月続くのは1992年10月以来です。

同日公表された2026年4~6月期の実質国内総生産の2次速報値も、前期比0.4%増、年率換算1.4%増へ上方修正されました。個人消費は小幅ながらプラスに転じ、企業設備投資の減少幅も1次速報より縮小しました。賃金と景気が利上げに耐えられるとの見方が、円を買い戻す材料になったわけです。

日銀の7月展望では、2026年度の実質成長率を0.6%、生鮮食品を除く消費者物価の上昇率を2.5%と見込んでいます。原油高や半導体価格、円安の影響で年度後半の物価が2%を明確に上回る可能性を示し、経済・物価情勢に応じて政策金利を引き上げる方針も維持しました。

米国との金利差はなお大きく残ります。米連邦公開市場委員会は7月会合で政策金利を3.5~3.75%に据え置きました。ところが、為替を動かすのは金利差の絶対値だけではありません。日銀の利上げ時期が前倒しされるとの予想が強まれば、将来の金利差縮小を先回りして円を買う動きが生まれます。

155円割れで始まった円売り持ち高の逆流

第二の圧力は、155円という節目を割り込んだことによる円売りポジションの解消です。155円付近は、春と夏の円買い介入後にもドルの下値として意識されていました。その水準を明確に下回ったことで、損失を限定するためのドル売り・円買い注文が相次ぎました。

相場が円安方向へ動くと想定し、円を借りて金利の高い外貨資産へ投資する取引が円キャリートレードです。円が上昇すると、投資家は外貨資産の利益以上に円の返済負担が膨らむ可能性があるため、外貨を売って円を買い戻します。円高が新たな円買いを呼ぶ自己増幅的な構造です。

ジェフリーズが国際決済銀行の統計を基に分析したところ、キャリートレードの代理指標となるクロスボーダーの円借入残高は、2026年3月時点で過去最高の360兆円に達しました。ただし、通常の事業融資も含むため、全額を投機的なキャリートレードとみなすことはできません。それでも、円売りの巻き戻し余地が大きいことを示す材料にはなります。

第三の圧力が、日米両政府による介入への警戒です。財務省は米国東部時間の7月31日、米財務省と協調して円買い介入を行ったと公表しました。7月30日から8月26日までの外国為替平衡操作額は15兆3993億円です。片山さつき財務相は、無秩序な動きが続けば追加の協調介入も辞さない姿勢を示しています。

介入が円高トレンドを恒久的に保証するわけではありません。しかし、円を売れば当局と日銀の双方を相手にする可能性があるとの認識は、投資家の損失許容度を下げます。利上げ観測、155円割れ、介入警戒という三つの力が重なり、ドルに限らない全方位の円買いへ発展しました。

円高が企業収益と雇用に映す明暗

輸出企業の利益換算と採用余力

円高の影響を最も受けやすいのは、自動車、機械、電機など海外売上高の大きい企業です。外貨建ての売上高と利益が同じでも、円へ換算した金額は円高になるほど減少します。円安を前提に業績予想を作成していた企業では、為替差益の縮小が下方修正の要因になります。

もっとも、輸出企業がすべて同じ打撃を受けるわけではありません。販売地の近くで生産し、売上と費用を同じ通貨で発生させる「自然ヘッジ」を進めた企業は影響を抑えられます。為替予約の期間、現地調達率、部品を国内から輸出する比率によって、実際の感応度は大きく異なります。

7月の日本の輸出額は前年同月比23.2%増の11兆5100億円、輸入額は27.8%増の12兆1500億円となり、6345億円の貿易赤字でした。輸出と輸入がともに高水準であるため、「円高は輸出に不利、輸入に有利」という二分法だけでは企業ごとの影響を判断できません。輸入部材を多く使う輸出企業には、仕入れコストの低下という相殺効果もあります。

雇用面では、為替差損が直ちに人員削減へ結び付くとは限りません。7月の完全失業率は2.4%で、前月から0.1ポイント低下しました。人口減少と技能人材の不足が続くなか、企業は一時的な為替変動だけを理由に、採用や育成を止めにくい状況です。

2026年春季労使交渉における主要企業428社の平均妥結額は1万8167円、賃上げ率は5.18%でした。前年を下回ったものの、賃上げ率は3年連続で5%台を維持しています。人材獲得競争を考えれば、企業が一度引き上げた初任給や基本給を円高だけで元に戻すことは困難です。

一方、賞与、採用人数、研修費などは業績に応じて調整しやすい項目です。輸出企業の収益悪化が長引けば、まず変動賞与や中途採用枠、外部研修から抑制される可能性があります。その影響は完成品メーカーだけでなく、価格交渉力の弱い部品会社や地域の協力企業へ波及しやすいため注意が必要です。

帝国データバンクの年初調査では、2026年度に賃金改善を見込む企業は63.5%でした。賃上げ理由の首位は「労働力の定着・確保」の74.3%である一方、賃上げを行わない理由では「自社の業績低迷」が55.1%を占めました。人手不足が賃金を支え、業績悪化が抑えるという綱引きが、円高によって業種ごとに鮮明になります。

輸入コスト低下が支える実質賃金

円高の恩恵を受けやすいのは、食料品、燃料、衣料、家具、海外製品などの輸入比率が高い業種です。外貨建て価格が変わらなければ、同じ商品を少ない円で調達できます。航空会社や電力・ガス会社でも、燃料調達費を抑える方向に働きます。

ただし、為替が152円台へ動いたからといって、店頭価格がすぐ下がるわけではありません。企業は為替予約を行い、数カ月分の在庫を抱え、取引先と一定期間の価格を契約しています。物流費や人件費も上昇しているため、円高による原価低下は、値下げよりも値上げの見送りや利益率の回復として先に表れやすいでしょう。

7月の全国消費者物価指数は総合で前年同月比1.9%上昇、生鮮食品を除く総合で1.8%上昇でした。実質賃金が2.4%増へ転じた背景には、名目賃金の伸びに加え、物価上昇率が落ち着いたことがあります。円高が輸入インフレをさらに緩和すれば、追加の大幅賃上げがなくても家計の購買力を改善できます。

これは2027年の労使交渉にも重要です。企業が名目賃金を何%引き上げたかだけでなく、従業員が実際に購入できる財やサービスが増えたかが定着率を左右します。円高によって生活必需品の上昇が鈍れば、企業は物価補償型の一律手当だけでなく、技能、職責、生産性に連動した恒久的な賃金制度へ資金を振り向けやすくなります。

海外のクラウドサービス、ソフトウエア、研究機器、研修プログラムを利用する企業にも円高は追い風です。人材育成やDX投資の円換算費用が下がり、採用後の能力開発へ投資する余地が生まれます。輸入コストの低下を短期的な利益として吸収するだけでなく、教育や省力化に回せるかが中長期の賃上げ余力を分けます。

外国人材にとっては、円で受け取った給与を母国通貨へ換算した価値が高まります。円安によって低下していた日本の賃金の国際的な魅力が一部回復すれば、採用や定着の改善要因になります。一方、訪日客から見た日本の割安感は弱まるため、宿泊・外食などインバウンド依存度の高い職場では需要鈍化の可能性も残ります。

働き手が転職先を選ぶ際も、単純に「輸出企業か、内需企業か」だけで判断するのは危険です。海外生産比率、輸入原材料の割合、価格転嫁力、賞与への業績連動度まで確認する必要があります。同じ業界でも、円高が人件費予算を圧迫する企業と、採用・研修投資を増やせる企業に分かれるためです。

日米中銀会合後に残る三つの反転リスク

第一のリスクは、市場が日銀の利上げを先取りしすぎていることです。日銀が9月17~18日の会合で金利を据え置く、あるいは今後の利上げに慎重な説明をすれば、円買いポジションの利益確定が集中しかねません。155円割れが円高を加速させたのと逆に、節目を上回れば円売りが連鎖する可能性があります。

第二は米国の金利と原油価格です。FRBは7月時点でインフレが2%目標を上回っていると判断し、3人の委員は据え置きではなく0.25ポイントの利上げを支持しました。中東情勢による原油高が続けば、米金利とドルが上昇する一方、日本では輸入物価が高止まりするという難しい組み合わせになります。

第三はキャリートレードの無秩序な巻き戻しです。円高そのものは家計の購買力を改善しますが、世界の株式や債券が同時に売られれば、日本企業の資金調達や設備投資にも逆風となります。円高の速度が実体経済の調整能力を上回る場合、輸出企業や取引先の賞与・採用計画が急速に慎重化する恐れがあります。

したがって、152円台という水準だけで円高の定着を判断すべきではありません。日銀会合後も賃金と基調物価が伸び、円がドル以外の通貨に対しても強さを保てるかが重要です。米金利上昇や介入警戒だけで流れが反転するなら、今回の動きは構造転換ではなく、大規模な持ち高調整だったことになります。

企業と働き手が確認すべき為替の持続性

企業は単一の想定為替レートに頼らず、円高、基準、円安の複数シナリオで売上高、原価、賞与、採用人数を試算する必要があります。海外売上高だけでなく、輸入部材、外貨建て債務、為替予約を含む実質的な通貨別収支を把握することが出発点です。

人事部門には、為替で生じた一時的な利益や損失と、構造的な人手不足への対応を分ける視点が求められます。短期の円高を理由に基本給を抑えれば採用競争力を失います。業績変動は賞与で調整しつつ、専門職の育成、生産性向上、外国人材の定着に必要な投資を守る設計が現実的です。

働き手は、円相場そのものを追うだけでなく、勤務先の為替前提、海外売上比率、原材料調達先、賞与制度を確認するとよいでしょう。生活面では輸入品の価格、住宅ローン金利、実質賃金の変化を併せて見る必要があります。

目先の焦点は9月15~16日のFRB会合と17~18日の日銀会合です。その後も円が主要通貨に対して上昇し、輸入物価の鈍化と実質賃金の改善が続けば、円高は家計と内需を支える流れになります。反対に、期待外れの政策判断で円が急反落すれば、企業と家計は再び輸入インフレへの備えを迫られます。

参考資料:

渡辺 由紀

雇用・人材戦略・キャリア

雇用・人材戦略・キャリアを専門に取材。高専人材の争奪戦から中途採用市場の変化まで、「働く」を取り巻く構造変化を解き明かす。

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