NewsHub.JP
NewsHub.JP

認知症で資産凍結500兆円時代へ 備える制度と選択肢

by 田中 健司
URLをコピーしました

認知症資産318兆円時代の凍結リスク

日本社会の高齢化が加速するなか、認知症高齢者が保有する資産の「凍結リスク」が新たな社会問題として浮上しています。厚生労働省の推計によれば、2025年時点で認知症の高齢者は約471万人、軽度認知障害(MCI)を含めると1,000万人を超える規模です。三井住友信託銀行の試算では、2030年に認知症高齢者の金融資産は約218兆円、不動産を含めた資産総額は約318兆円に達し、家計資産の1割を超えるとされています。

認知症の進行によって判断能力が低下すると、銀行口座が凍結され、自宅の売却もできなくなります。治療費や介護施設の入所費用が必要なときに、まさにその資金を動かせないという矛盾が生じるのです。成年後見制度や家族信託といった備えの手段は存在するものの、普及は十分とは言えません。本記事では、資産凍結リスクの実態と、それに備えるための制度・選択肢を整理します。

膨らむ認知症高齢者の保有資産

2030年に家計資産の1割超が「凍結予備軍」に

第一生命経済研究所の2018年の試算では、認知症患者の保有する金融資産は2030年度に約215兆円に達し、個人金融資産全体の約1割を占めると予測されています。三井住友信託銀行の分析では、不動産を加えた総資産は318兆円(家計資産の10.4%)に膨らみ、2040年にはさらに拡大する見通しです。

さらに深刻なのは、MCIの存在です。厚生労働省が2022年に実施した調査に基づく将来推計では、2030年のMCI高齢者は約593万人、有病率は16.0%に達するとされています。MCIの段階では日常生活は概ね自立しているものの、判断能力にはすでに揺らぎが生じている場合があります。MCI患者の保有資産まで含めると、潜在的な凍結リスクを抱える資産の規模はさらに大きくなります。

口座凍結が招く「お金があるのに使えない」事態

認知症によって意思能力が不十分と判断されると、金融機関は本人保護の観点から口座取引を制限します。具体的には、預金の引き出し、定期預金の解約、振込手続きなどが停止されます。

家族にとって最も切実なのは、本人の治療費や介護費用を本人の口座から支払えなくなる点です。介護施設の月額費用は平均で12万円以上に上るとされ、有料老人ホームであればさらに高額になります。主な資産が自宅不動産という場合、施設入所の費用を捻出するために自宅を売却しようとしても、所有者本人に判断能力がなければ売買契約は成立しません。

2021年2月に全国銀行協会が公表した指針では、本人のための費用の支払いであることが確認できれば、親族からの払出し依頼に限定的に応じる考え方が示されました。しかし、この指針はあくまで各金融機関の参考にとどまり、実際の運用は機関ごとに異なります。窓口で断られるケースも珍しくないのが現状です。

成年後見制度の現状と25年ぶりの大改正

利用者25万人、しかし潜在需要との乖離は大きい

成年後見制度は、判断能力が不十分な人の財産管理や法律行為を支援するための法定制度です。最高裁判所事務総局が公表した統計によれば、2024年12月末時点での利用者数は約25万3,941人で、前年比約1.8%の微増にとどまっています。認知症高齢者が471万人に上るなかで、利用率は5%程度に過ぎません。

普及が進まない背景には、制度設計上の課題があります。まず、専門職の後見人が就任した場合、月額2〜6万円の報酬が本人の死亡まで継続的に発生します。仮に月3万円で10年間利用すれば、総額360万円の負担です。次に、申立てから後見人の選任までに数カ月を要し、緊急の資金需要に対応しにくい点があります。さらに、後見人が選任されると原則として本人が亡くなるまで制度が継続し、途中での解除が困難でした。

「終われる後見」へ――民法改正案のポイント

こうした課題を受け、2026年4月3日、成年後見制度の抜本的見直しを盛り込んだ民法改正案が閣議決定されました。制度導入から約25年ぶりの大改正です。法制審議会が同年1月に取りまとめた要綱案を基に、主に3つの柱で制度の柔軟化が図られます。

第一に、終身制の廃止です。家庭裁判所があらかじめ有効期間を設定できるようになり、本人の能力回復や他の支援手段で代替可能な場合には終了できる仕組みが導入されます。「一度始めたらやめられない」という最大の心理的ハードルが解消される見込みです。

第二に、類型の一本化です。現行の「後見」「保佐」「補助」の3類型が、最も柔軟性の高い「補助」に統合されます。家庭裁判所が個別のケースに応じて、代理権や同意権を細かく設定できるようになります。

第三に、後見人の交代を容易にする規定の新設です。「本人の利益のために特に必要がある場合」という柔軟な交代理由が設けられ、相性や生活への適合性に応じた選び直しが可能になります。

改正法が順調に国会を通過すれば、2027年から2028年頃に新制度がスタートする見通しです。

家族信託という選択肢

柔軟な財産管理を可能にする仕組み

成年後見制度と並んで注目されているのが家族信託です。これは、資産を持つ本人(委託者)が、信頼できる家族(受託者)に財産の管理・処分を託し、本人や指定した人(受益者)のために運用する仕組みです。

家族信託の最大の特長は、認知症発症後も事前に定めた内容に従って家族が財産を管理できる点にあります。成年後見制度では原則として財産の維持・保全が目的となり、積極的な資産運用は難しいとされます。一方、家族信託では不動産の売却や投資信託の運用といった柔軟な対応が可能です。

裁判所の関与なく家族間の契約で成立するため、手続きの機動性も高くなります。施設入所が必要になった際に自宅を売却する権限をあらかじめ受託者に付与しておけば、認知症が進行した後でもスムーズに対応できます。

普及を阻む初期コストと制度認知の壁

一方で、家族信託の普及には課題もあります。組成にあたっては公正証書の作成費用、不動産の信託登記にかかる登録免許税(固定資産税評価額の0.3〜0.4%)、専門家への報酬などを合わせると、初期費用が50万〜100万円以上に達することも珍しくありません。

また、受託者となる家族に大きな権限が集中する一方、成年後見制度のような裁判所による監督機能が弱い点もデメリットです。信託監督人を設置するなどの工夫が求められます。

制度そのものの認知度が十分でない点も課題です。高齢の親世代に「財産を子どもに託す」という仕組みを理解してもらうことは容易ではなく、家族間の合意形成に時間がかかるケースも多いとされます。

自治体と金融機関の対応に残る地域差

認知症基本法施行と自治体の役割

2024年1月1日に「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」が施行され、同年12月3日には認知症施策推進基本計画が閣議決定されました。自治体には地域の実情に応じた施策の推進が求められていますが、中核機関の設置状況や権利擁護支援の体制には大きな地域差があります。

都市部では成年後見の申立て件数が増加傾向にあり、2024年には市区町村長による申立てが初めて1万件を突破しました。身寄りのない高齢者や、家族が遠方にいるケースで自治体が対応を迫られる場面が増えています。一方、地方の小規模自治体では専門人材の確保が難しく、支援体制の構築が遅れがちです。

金融機関の取り組みと限界

金融機関側でも対応は進みつつあります。代理人届の事前提出を推奨したり、認知症サポーターの配置を進めたりする動きが広がっています。信託銀行を中心に、認知症対応型の信託商品を開発する取り組みも活発化しています。

ただし、全国銀行協会の指針に法的拘束力はなく、窓口対応は各支店の判断に委ねられる部分が大きいのが実情です。医療費や介護費用という本人のための支出であっても、親族による引き出しが認められないケースが報告されており、制度と現場運用の間にギャップが残っています。

MCI期の早期備えと民法改正の実効性

早期の備えが鍵を握る

認知症への備えは、判断能力が十分にあるうちに始めなければ意味がありません。家族信託は本人の意思能力が前提であり、認知症が進行してからでは契約が成立しない可能性があります。任意後見制度も同様に、本人が元気なうちに契約を結んでおく必要があります。

MCIの段階であれば判断能力が残っている場合が多く、備えを始める最後の機会となり得ます。しかし、MCIは本人も家族も気づきにくく、「まだ大丈夫」という認識のまま時間が過ぎてしまうリスクがあります。

制度改正の実効性は運用次第

2026年に閣議決定された成年後見制度の民法改正案は、従来の課題に正面から取り組む内容です。しかし、終身制の廃止や類型の一本化が実際にどの程度利用促進につながるかは、施行後の運用に左右されます。裁判所の体制整備、専門職後見人の育成、申立て手続きの簡素化など、制度の器を整えるだけでなく、アクセスのしやすさを高める取り組みが並行して求められます。

家族信託についても、初期費用の高さを補う公的支援の検討や、トラブル防止のためのガイドライン整備が今後の課題です。

25年ぶり改正と家族信託による凍結対策

認知症高齢者の保有資産が家計全体の1割を超える時代が迫るなか、口座凍結や不動産の処分不能といった資産凍結リスクは、もはや個々の家庭だけの問題ではありません。成年後見制度は25年ぶりの大改正で柔軟化に向かい、家族信託という選択肢も広がりを見せています。しかし、いずれの制度も本人の判断能力が残っているうちに手を打つことが大前提です。

最も重要なのは、認知症を「いつか来るかもしれないリスク」ではなく、「備えるべき現実」として捉え直すことです。家族で資産の棚卸しを行い、どの制度が適しているかを専門家に相談しながら検討を始めること。その一歩が、将来の「凍結」から家族の生活を守る最大の防波堤となります。

参考資料:

田中 健司

製造業・建設・インフラ

製造業・建設・インフラ産業を中心に取材。大企業の事業再編から建設現場の人手不足問題まで、日本の産業基盤の変化を追い続ける。

関連記事

老後2000万円問題、資産が減らない高齢日本の消費停滞リスク

金融庁報告から7年、老後2000万円問題は「足りない」から「使えない」へ焦点が移りました。2025年末の家計金融資産2,351兆円、65歳以上世帯の貯蓄中央値、平均余命の長期化、物価上昇、NISA制度を基に、資産を減らせない心理、高齢期の消費停滞と地域消費への波及課題、家計設計の出口戦略を読み解く。

健康長寿を左右する中高年の二度のギアチェンジと食事戦略の新常識

40〜74歳のメタボ対策、65歳以降のフレイル予防、75歳前後の低栄養リスクを分けて考えると、体重管理の正解は変わります。BMI、たんぱく質、歩数、筋力トレーニング、口腔機能の指標から、健康長寿を守る二度のギアチェンジを、毎日の食事と生活習慣に落とし込む今日からの具体策を公的資料と研究データから解説。

コーヒー2杯以上で認知症リスク低下か新研究が示す現実的な飲み方

中国研究者らのHRS解析では、1日2杯以上のコーヒー摂取が認知症発症リスク低下と関連した。JAMAの13万人超研究、UK Biobank、メタ解析、FDAとEFSAのカフェイン安全量、日本の飲用習慣も照合し、観察研究の限界と睡眠・高血圧・妊娠中、甘味や夜の一杯など実生活で注意すべき飲み方を丁寧に解説。

最新ニュース

BYD軽EVラッコ襲来、日本の軽市場攻略を左右する価格と信頼

BYDが日本専用の軽EV「RACCO」を214万5000円から発売した。航続210〜320km、両側電動スライドドア、長期保証と据置ローンを武器に、軽販売約168万台の国産勢へ挑む。スーパー駐車場で磨いた生活密着設計、充電網、補助金、販売店網、信頼形成の課題から、日本攻略の勝算と死角を丁寧に読み解く。

定借マンション人気再燃一次取得層が知る損得と出口戦略の実務要点

首都圏で定期借地権付きマンションの供給が拡大し、2025年は1,502戸と過去最多に。所有権より手ごろな価格が魅力ですが、地代、解体積立金、残存期間と住宅ローン、売却時の値崩れが家計を左右します。相続価値より暮らしの費用対効果を重視する一次取得層が、買い替え前提で確認すべき契約、資金計画、出口戦略の判断軸を解説。

円買い協調介入が映す日米為替防衛の新段階と円安再燃への警戒感

日米が円買い協調介入に動いた背景には、163円台まで進んだ円安、原油高、日米金利差、財政不安が重なる構図があります。2011年、1998年の歴史的介入や日銀・FRBの政策姿勢、米財務省の監視リスト、外貨準備への影響を整理し、円安再燃時に企業と投資家が注視すべき今後の政策対応と市場リスクを深く読み解く。

オリンパス内部通報事件が問う公益通報者保護法の救済空白と企業責任

2007年の通報から最高裁で配転無効が確定するまで、オリンパス元社員の闘争は公益通報者保護法の弱点を浮かび上がらせました。2026年12月施行の改正法で刑事罰や立証責任転換が加わる一方、配置転換・ハラスメント、職場復帰、訴訟費用の重さに残る救済不足と企業が取締役会で点検すべき実務上の論点を読み解く。

トヨタ中古車に最新安全機能、SDV時代に広がる純正後付け戦略

トヨタが中古車でも純正の先進安全機能を選びやすくする動きは、車を売って終わらない収益モデルへの転換を示します。KINTO由来のアップグレードサービス、AreneによるSDV基盤、中古車市場650万台規模の需要、カローラクロスやクラウンで進む後付け機能、販売店網の意味、利用時の適合確認と過信リスクを解説。