中東海底ケーブル集中が映す米イラン衝突の通信急所と日本の備え
中東の海底ケーブルが有事の焦点になる理由
米イラン衝突は、ホルムズ海峡を通る石油や液化天然ガスだけでなく、海底を走る光ファイバー網にも安全保障上の光を当てました。国際電気通信連合(ITU)は、国際データ流通の99%超を海底ケーブルが担うと説明しています。金融決済、クラウド、政府通信、製造業のサプライチェーンは、衛星ではなく大容量で低遅延の海底ケーブルに依存しています。
焦点は二つあります。一つはホルムズ海峡周辺の湾岸諸国向け通信が、軍事衝突のすぐ近くを通ることです。もう一つは、欧州とアジアを結ぶ大動脈が紅海からエジプトへ集中していることです。ホルムズ単体の世界的な比重は過大視すべきではありませんが、中東全体を「データの通り道」と見れば、日本企業にも無関係ではない脆弱性が浮かびます。
ホルムズ海峡リスクの実像と過大評価の線引き
料金徴収構想が示すイランの心理戦
2026年5月以降、イラン革命防衛隊に近いメディアは、ホルムズ海峡を通る海底ケーブルに対して通行料やライセンス料を課す構想を相次いで打ち出しました。EuronewsやIran Internationalは、TasnimやFarsが、Google、Meta、Microsoft、Amazonなどの大手テック企業にイラン法の下で運用を求める案や、保守作業をイラン企業に独占させる案を報じています。
この構想は、すぐに実効支配へ移る政策というより、交渉上の圧力として読むべきです。海底ケーブルは国際コンソーシアムや通信会社、クラウド事業者が複雑に所有しており、利用者ごとに海中で通信を選別して課金することは現実的ではありません。さらに、国連海洋法条約が定める国際海峡の通過通航権との整合性も弱く、米欧や湾岸諸国の強い反発を招きます。
ただし、実行困難だから危険が小さいとは言い切れません。イランが「海底ケーブルもホルムズの主権問題だ」と位置づけるだけで、保険、修理船の入域許可、敷設計画、クラウド拠点の投資判断に不確実性が生じます。軍事的にケーブルを直接切断しなくても、修理できない状況を作るだけで通信インフラには十分な圧力になります。
ホルムズ単体を地域リスクと見る現実
一方で、ホルムズ海峡が「世界のインターネットの3割」を直接握るという見方は慎重に扱う必要があります。ICPCは2026年5月のFAQで、ホルムズを通る帯域は世界の国際帯域の1%未満だと説明しました。さらに、ホルムズに関する一部の数字は、紅海を含む広い中東の通信経路を混同していると注意しています。
TeleGeographyも、ホルムズを通過する主な現役ケーブルとしてAAE-1、FALCON、Gulf Bridge International Cable Systemを挙げつつ、欧州―アジア通信の主要ルートはホルムズから約900マイル離れた紅海側にあると指摘しています。湾岸諸国の通信にとっては重大でも、世界全体を一撃で止める急所と表現するのは正確ではありません。
重要なのは、世界リスクと地域リスクを分けることです。バーレーン、カタール、クウェートなどはサウジアラビア方面への陸上回線も持ちますが、海底ケーブルが広範囲に損傷した場合に全量を迂回できるとは限りません。UAEはフジャイラなどオマーン湾側の陸揚げで一定の冗長性を持つ一方、湾岸のデータセンターやAI投資は低遅延接続を前提にしています。ホルムズ危機は「世界の通信停止」ではなく、「湾岸クラウドと金融・エネルギー通信の局所的な詰まり」と捉える方が実態に近いです。
紅海・エジプト回廊に集中する世界通信の脆弱性
2024年損傷が示した迂回路の限界
世界経済への影響という点では、ホルムズより紅海・エジプト回廊の方が大きな焦点です。CSISはエジプトを、地中海、紅海、アフリカ、中東を結ぶ海底ケーブルの要衝と位置づけ、エジプト経由の経路が世界のインターネット通信の約17%、欧州―アジア通信の90%超に関わると分析しています。世界経済フォーラムも、データのチョークポイントがエネルギーや物流と同じく狭い地理に集中していると指摘しました。
この脆弱性は2024年に現実化しました。HGC Global Communicationsは同年2月、紅海で15本超の海底通信ケーブルのうち4本が損傷し、中東の通信網に大きな影響が出たと公表しました。後続の補足説明では、損傷したのはSeacom、TGN、AAE-1、EIGで、影響は通信量の25%に及ぶと説明しています。AP通信の配信記事も、同じ損傷で事業者が迂回を進めた一方、原因は直ちには特定されなかったと報じました。
注目すべきは、ケーブル損傷そのものより修理の遅れです。海底ケーブルの修理には、専用船、海域当局の許可、現場の安全確保が必要です。TeleGeographyは、軍事衝突下では修理船が現場で停止して作業するため脆弱になり、紅海では近年の複数障害で修理が数カ月遅れたと指摘しています。デジタル経済にとっての有事リスクは、切断の瞬間だけでなく「直せない時間」に宿ります。
エジプト陸上横断に集まる構造的な負荷
紅海から地中海へ抜けるケーブルは、多くの場合、エジプト国内を短い陸上区間で横断します。この地理はアジアと欧州を結ぶ最短経路を提供しますが、同時に陸揚げ局、陸上ダクト、許認可、治安、料金交渉が一国に集中する構造を生みます。CSISは、エジプトが信頼されるデジタルゲートウェーであり続けるには、許認可の透明化、冗長ルートの整備、海域監視、サイバー対策が必要だと提言しています。
海底ケーブルは「分散したインターネット」の象徴のように語られますが、実際には地理的に細い経路へ集まりやすいインフラです。新しいケーブルが増えても、海峡、陸揚げ地、修理拠点、陸上横断区間が同じなら、同時障害のリスクは残ります。国際帯域需要はクラウド、生成AI、動画配信、企業データ連携で膨らみ続けており、一本の障害がすぐ全面停止に直結しなくても、遅延、迂回コスト、サービス品質低下として広がります。
中東のケーブル問題は、軍事専門家だけのテーマではありません。金融機関の市場データ、製造業の海外拠点接続、クラウド上の顧客管理、資源会社の操業データなど、企業活動の基盤そのものに接続しています。データセンターを湾岸に置く企業や、中東を経由する欧州・インド向け回線を使う企業は、海域の危険だけでなく、陸上横断と修理許可の集中も評価に入れる必要があります。
日本企業に広がる三つの調達・運用リスク
日本企業にとって第一のリスクは、通信の調達先が異なっていても物理経路が重なっていることです。複数の通信会社と契約していても、実際の海底区間が同じ紅海・エジプト回廊に集中していれば、障害時の冗長性は限定的です。契約書上の「別キャリア」は、物理的な別ルートを意味しない場合があります。
第二のリスクは、クラウドのリージョン選択とデータ主権です。湾岸諸国はAI、金融、行政DXのためにデータセンター投資を進めていますが、低遅延接続は海底ケーブルと陸上幹線の安定を前提にしています。アジア、欧州、中東の拠点を一つのクラウド設計で結ぶ企業は、平時の価格と性能だけでなく、有事にどの地域へフェイルオーバーするかを決めておく必要があります。
第三のリスクは、サイバー対策と物理インフラ対策の分断です。海底ケーブル障害は、不正侵入やランサムウェアとは異なる種類のリスクですが、業務停止という結果は同じです。ICPCは、年間150〜200件程度の通信ケーブル障害があり、その多くは漁業や錨などの偶発的な人為要因だと説明しています。紛争時は、この偶発障害と意図的妨害、修理遅延が重なり、原因の切り分けが難しくなります。
したがって、企業の確認項目は明確です。主要SaaS、決済、VPN、EDI、クラウド間接続について、実際の国際回線経路、代替経路、障害時の帯域保証、復旧時間目標を通信会社に確認することです。さらに、欧州・中東・インドとの通信を前提にした業務では、北米経由、中央アジア陸路、東南アジア経由など、遅延は増えても業務継続できる経路を試験しておく価値があります。
日本が今から点検すべき通信備え
米イラン衝突で見えてきたのは、海底ケーブルが戦場化したという単純な物語ではありません。実態は、エネルギー、海運、通信、クラウド、金融が同じ狭い地理に重なったことによる複合リスクです。ホルムズ単体は世界通信の決定的急所ではないものの、湾岸のデジタル基盤には深刻な圧力を与えます。紅海・エジプト回廊は、より広い世界経済のボトルネックです。
日本政府は、同盟国や海底ケーブル事業者との情報共有、修理船の安全確保、ケーブル陸揚げ地の分散、国内外のクラウド接続の可視化を進める必要があります。企業は、通信コストの最適化だけでなく、物理経路の分散を調達条件に入れるべきです。中東有事のニュースを原油価格だけで読む時代は終わりつつあります。次に点検すべき指標は、データがどの海峡と陸路を通っているかです。
参考資料:
- FACT FOCUS: A look at US and Iranian claims of control over the Strait of Hormuz
- US hits civilian infrastructure as it expands strikes against Iran
- Iran eyes fees on Hormuz internet cables as new lever against the West
- IRGC-linked media calls for fees on Hormuz undersea internet cables
- What If: Iran Targeted Submarine Internet Cables in the Arabian Gulf?
- Submarine Cable Frequently Asked Questions
- Navigating Hostile Waters: Submarine Cable Infrastructure and the Strait of Hormuz
- Media Enquiries & Frequently Asked Questions
- Damage to Submarine Cables from Dragged Anchors
- The Strategic Future of Subsea Cables: Egypt Case Study
- Statement - HGC Global Communications Takes Swift Action in Response to Submarine Cable Damage in the Red Sea
- Statement – Supplementary Information of HGC Global Communications Regarding Submarine Cable Damage in the Red Sea
- Three Red Sea Underwater Data Cables Have Been Cut as Houthi Attacks Continue in the Vital Waterway
- Global Connectivity Report 2025
- Protection of Undersea Telecommunication Cables: Issues for Congress
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