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軍事機密で予測市場を悪用 戦争賭博の危うさと規制の行方

by 中村 壮志
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イスラエル空軍少佐のPolymarket不正賭博

2026年2月、イスラエル当局は異例の起訴を発表しました。空軍予備役の少佐とその知人が、軍事機密を利用して米国の予測市場プラットフォーム「Polymarket(ポリマーケット)」で賭けを行い、約16万2,663ドル(約2,600万円)の利益を得ていたというものです。起訴内容には「重大な安全保障上の犯罪、贈収賄、司法妨害」が含まれています。

この事件は、急成長する予測市場が抱える根本的な問題を浮き彫りにしました。戦争や軍事作戦という人命に直結するテーマが賭けの対象となり、しかも機密情報を持つ内部関係者がそれを悪用できてしまう構造的なリスクです。予測市場の月間取引高が80億ドルを超える今、その「危うさ」は無視できない水準に達しています。

事件の全容:空軍少佐はいかにして機密を賭けに変えたか

「オペレーション・ライジング・ライオン」前夜の密告

事件の舞台となったのは、2025年6月にイスラエルがイランの核関連施設を標的に実施した大規模空爆作戦「オペレーション・ライジング・ライオン」です。12日間にわたったこの軍事作戦の開始2日前、空軍予備役少佐は機密ブリーフィングに参加し、攻撃開始日の情報を入手しました。

起訴状によれば、少佐は機密保持の宣誓書に署名していたにもかかわらず、民間人の知人にWhatsAppで「攻撃は6月12日の夜に行われる」というメッセージを送信しました。この情報をもとに知人がPolymarketで賭けを実行し、2人は利益を分け合ったとされています。

アカウント「ricosuave666」の正体

Polymarket上で注目を集めていたアカウント「ricosuave666」は、イスラエルの軍事作戦に関連する賭けで驚異的な的中率を記録していました。合計7件の予測を行い、15万ドル以上の利益を獲得したとされています。CNNの調査報道によれば、別のトレーダーは2024年以降、米国やイスラエルの軍事行動を正確に予測する数十件の賭けで約100万ドル近くを稼ぎ、5桁の賭け金を伴う軍事関連ベットの勝率は93%に達していました。

箝口令の解除と明らかになった詳細

この事件は当初、テルアビブの裁判所が箝口令を敷いていました。しかし2026年3月26日、複数のヘブライ語メディアの請願を受けて裁判所が一部を開示し、被告が空軍少佐であることや犯行の手口が明らかになりました。なお、被告2人の氏名は現在も非公開のままです。

さらに、別の空軍クルーメンバーもPolymarketでの賭けに関与していた疑いで取り調べを受けていることが報じられています。ハアレツ紙は「空軍全体が賭けている」という関係者の証言を報道しており、問題が組織的な広がりを持つ可能性が指摘されています。

急膨張する予測市場とインサイダー取引の温床

月間取引高80億ドル超の巨大市場

予測市場の成長は目覚ましいものがあります。Polymarketの年間取引高は2025年に約215億ドルに達し、前年比57%増を記録しました。2026年に入ってからはさらに加速し、2月には月間取引高が70億ドルの記録を更新、3月には80億ドルを超えたとされています。月間ユニークウォレット数も84万に達し、ユーザー数は2025年の約4,000人から60万人超へと急増しました。

PolymarketとKalshiの2社で予測市場全体の97.5%以上のシェアを占める寡占状態が形成されており、このうちPolymarketはオフショア(海外拠点)で運営されているため、米国の規制が直接及ばないという構造的な問題を抱えています。

戦争が「賭けのコンテンツ」になる異常事態

イラン関連の予測市場では、軍事攻撃の時期や停戦の可否だけでなく、撃墜された米軍パイロットの生死までもが賭けの対象となりました。2026年4月、イラン上空で撃墜された米軍F-15Eストライクイーグルの乗員の救出時期を賭ける市場がPolymarket上に出現し、大きな批判を浴びました。

イラク戦争に従軍した海兵隊出身のセス・ムールトン下院議員は「捜索救助活動が進行中の最中に賭けが行われている」と強く非難しました。Polymarketは「当社の品質基準を満たさない」として市場を削除し謝罪しましたが、ムールトン議員は「プラットフォーム上にはまだ219件の戦争関連の賭けが残っている」と指摘し、即時削除を求めています。

停戦交渉すらインサイダー取引の対象に

軍事機密だけではありません。2026年3月には、米国とイランの停戦に関するPolymarketの賭けでもインサイダー取引の疑いが浮上しました。3月21日前後に8つの新規アカウントが作成され、「3月31日までに停戦が成立する」という契約に合計約7万ドルを賭け、成立すれば約82万ドルの利益を得る構図が確認されています。

ホワイトハウスは2026年4月10日、職員に対して「非公開情報を使って予測市場で賭けを行うことは犯罪行為である」とする警告メールを送付しました。政府倫理規定が「非公開の政府情報を私的利益のために使用すること」を禁じていることを改めて周知した形です。

規制の現状と各国の動き

CFTCが「最優先事項」に指定

米商品先物取引委員会(CFTC)は2026年3月、予測市場におけるインサイダー取引の取り締まりを5つの最優先執行分野の一つに指定しました。CFTCは「横領された情報を使って取引する市場参加者を訴追する」と明言し、商品取引所法(CEA)の不正防止条項に基づく執行を強化する方針です。

2026年3月12日には、予測市場のイベント契約を規制する新たなルールの策定に向けた事前規則制定告示(ANPRM)を公表し、パブリックコメントの募集を開始しました。また、米大リーグ(MLB)との間で情報共有に関する覚書を締結するなど、スポーツ分野も含めた市場健全性の確保に動いています。

議会からの圧力とオフショア規制の課題

下院民主党のムールトン議員とマクガバン議員を中心とする7名の議員は、CFTCに対して「戦争や死に関連する予測市場契約をなぜ取り締まらないのか」と問う書簡を送付しました。議員らは、商品取引所法にはオフショアのスワップ取引にも規制を及ぼす条項があると指摘し、テロ・暗殺・戦争に関する賭けを禁止する既存ルールの適用を求めています。

問題の核心は、Kalshiが米国内で規制を受けCFTCの監督下にある一方、Polymarketはオフショアで運営されており、米国の規制が直接及びにくいという点にあります。上院のブルメンソール議員もPolymarketのCEOに書簡を送り、国家安全保障上の懸念を表明しています。

プラットフォーム側の姿勢と矛盾

Polymarketの創業者兼CEOであるシェイン・コプラン氏の発言は物議を醸してきました。コプラン氏はかつてメディアに対し、自社プラットフォームが「インサイダーを含む人々に情報を市場に提供する金銭的インセンティブを生み出す」ことは「すごくクールだ」と述べていました。

一方でPolymarketは、インサイダー情報に基づく取引や、結果に影響を与えうるイベントへの賭けを明示的に禁止する新ルールを発表しました。しかしブルメンソール上院議員は「新しいインサイダー取引ルールは貧弱で不十分、かつ遅すぎる」と批判しています。2026年4月10日時点では、CFTCがPolymarketに対する正式な調査を開始したとの報道もあります。

軍事機密賭博が迫る国際規制の実効性

「情報の民主化」か「軍紀の崩壊」か

予測市場の支持者は、市場メカニズムが情報を効率的に集約し、真実を最も早く反映するツールになると主張します。しかし今回の事件は、その「情報の効率的集約」が軍事機密の漏洩や国家安全保障の毀損と表裏一体であることを示しました。

イスラエル軍は今回の事件について「作戦上の損害はなかった」としつつも、「深刻な倫理的失敗であり、明確な一線を越えた行為」と評価しています。しかし「空軍全体が賭けている」という証言が事実であれば、問題は個人の逸脱にとどまらず、組織的なモラルハザードに発展するリスクがあります。

規制の行方と国際協調の必要性

今後の焦点は、オフショアプラットフォームに対する規制の実効性です。CFTCが規則制定を進める一方、Polymarketのような海外拠点の事業者に米国法を適用できるかは法的に不透明な部分が残ります。また、軍事・外交情報を利用したインサイダー取引は、証券取引のように明確な法的枠組みが確立されておらず、各国の連携が求められます。

ポルトガルでは2026年にPolymarketを違法賭博として遮断する動きがあり、各国の規制姿勢にはばらつきがあります。暗号資産を基盤とする分散型プラットフォームの特性上、完全な規制は技術的にも困難です。

80億ドル予測市場に問われる倫理責任

イスラエル空軍少佐によるPolymarket不正取引事件は、予測市場が抱える構造的リスクを象徴する事例となりました。月間取引高80億ドルを超えるまでに成長した予測市場は、選挙やスポーツを超え、戦争・軍事作戦という領域にまで賭けの対象を広げています。

CFTCが規制強化に動き、議会からも圧力が高まる中、予測市場の運営者には「情報集約ツール」としての公共的価値と、人命や国家安全保障に関わるテーマを賭けの対象にすることの倫理的責任を両立させる姿勢が問われています。個人投資家にとっても、予測市場への参加が思わぬ法的リスクを伴いうることを理解しておく必要があるでしょう。

参考資料:

中村 壮志

国際情勢・地政学・安全保障

中東・米中関係を中心に国際情勢を取材。地政学リスクが日本経済に与える影響を、現地の視点から分析する。

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