NewsHub.JP
NewsHub.JP

SaaSの死は本当かSalesforceのAI戦略と収益転換

by 山本 涼太
URLをコピーしました

SaaSの死論とSalesforce収益転換

生成AIの進化で、「SaaS is Dead」という刺激的な言葉が広がっています。背景にあるのは、AIエージェントが人の代わりに業務を実行するなら、従来の業務ソフトを人の人数分だけ契約するモデルは崩れるのではないか、という見方です。実際、デロイトは2026年にかけて、サブスクリプションや席課金が利用量や成果連動のハイブリッド型へ移る可能性を指摘しています。

その矢面に立ちやすいのがSalesforceです。CRMの象徴的企業であり、長く「1ユーザーいくら」の世界を広げてきたからです。ただ、一次情報を追うと、同社はAI機能を足しているだけではありません。Agentforceの従量課金、Data 360のゼロコピー連携、Informatica統合まで含め、収益構造そのものを組み替え始めています。

本記事では、「SaaSの死」が本当に意味するものを整理したうえで、なぜSalesforceが簡単には代替されにくいのか、逆に何が本当のリスクなのかを読み解きます。焦点は、どの層が価値を握り、どのように課金する時代へ移るのかという点にあります。

「SaaSの死」論の出発点

席課金モデルへの疑義

「SaaSの死」とは、企業ソフトそのものが不要になるという意味ではありません。市場が疑っているのは、ソフトの価値と契約人数が直結する前提です。AIエージェントが問い合わせ対応、案件要約、記録更新、社内照会のような定型業務を代行するなら、従来ほど多くの人間ユーザーが毎日画面を開かなくても、仕事は回ってしまいます。

デロイトは、AIエージェントの普及によりSaaSは「リアルタイムのワークフローサービス群」のような姿へ変わり、席課金や定額制は、利用量や成果と組み合わさった混合モデルへ移る可能性が高いと整理しています。

つまり、いま起きているのは「クラウドが消える」話ではなく、「人が画面を操作する量」と「ソフトの売上」が以前ほど連動しなくなるという構造変化です。これはSaaS企業にとって厳しい問いです。AIがうまく働くほど、従来の席課金では売上が伸びにくくなるからです。

投資家が見ている論点

この文脈でSalesforceが注目されるのは当然です。Salesforceは2024年のCRM市場で20.7%のシェアを握る世界首位で、依然として業界の基準点です。首位企業がどう価格を付け、どの層で利益を取るのかは、業界全体の先行指標になりやすいからです。

一方で、一次情報を追うと、Salesforceの本業が急失速しているわけではありません。2026年2月公表のFY26通期決算では、売上高は415億ドルで前年比10%増、サブスクリプションとサポート売上は第4四半期だけで107億ドル、RPOは724億ドルに達しました。AIに押しつぶされて需要が消えているなら、この規模の契約残高は積み上がりにくいはずです。

ここから導けるのは、市場が問うているのは「Salesforceは消えるか」ではなく、「どの形で価値を取り続けるのか」という点だということです。論点は、CRMという業務基盤の置き換え難さ、AIを動かすためのデータと統合の厚み、席課金中心からどう収益モデルを転換するかの三つです。これは開示資料からの推論ですが、数字の並び方はその方向をかなりはっきり示しています。

Salesforceが代替されにくい理由

CRM単体製品ではない構造

Salesforceを単なる営業支援ツールとして見ると、AIに置き換えられそうに見えます。しかし実態は、顧客データ、営業案件、サポート履歴、マーケティング施策、外部連携、権限設計、監査対応まで積み重なった業務基盤です。ユーザーが画面を開く頻度が下がっても、その裏側にある顧客マスターや業務ルールまで簡単に捨てられるわけではありません。

この基盤性はエコシステムにも表れています。AppExchangeには7000超のアプリと認定コンサル組織があり、顧客は標準機能だけでなく、周辺アプリや実装ノウハウまで含めて運用しています。企業システムでは、帳票、承認フロー、監査ログ、部門ごとの例外処理まで回るかどうかが重要で、そこに大きな切り替えコストが発生します。

MicrosoftやServiceNowが強い理由も、同じく単機能ではなく基盤である点にあります。逆にいえば、AIネイティブ企業が食い込みやすいのは、こうした歴史的なワークフローが薄い周辺領域からです。Salesforceにとっての防衛線は、画面そのものではなく、業務の背骨に深く入り込んだデータモデルと実装済みの運用なのです。

データ統合とガバナンスの厚み

AIエージェント時代にSalesforceが強調しているのは、モデル性能そのものよりデータ接続です。Data 360のゼロコピーは、データウェアハウス側のデータを複製せずに参照・活用できる仕組みで、Salesforce自身も、AIや自動化にはリアルタイムのデータアクセスが必要で、従来のETLやAPI連携だけでは遅延や複雑さが増えると説明しています。

しかも、この連携はSalesforce内だけで閉じません。ゼロコピーのパートナーネットワークにはAWS、Databricks、Google Cloud、Snowflake、Microsoftが参加しています。ここで重要なのは、企業のデータがもはや単一ベンダーの中に閉じていないという現実を、Salesforceが正面から受け入れている点です。自社に全部持ち込ませるのではなく、他所にあるデータを業務文脈の中で使えるようにする方向へ舵を切っています。

さらに2025年11月に完了したInformatica買収は、その方向を一段進めました。Salesforceは、この統合でデータカタログ、品質、ガバナンス、プライバシー、MDMを取り込み、Agentforceの土台を「より統治された完全なデータ基盤」にすると説明しています。AIエージェントに必要なのは派手な応答より、どのデータに基づき、どの権限で、どこまで行動してよいかを制御する仕組みです。ここは汎用LLM単体では埋めにくい領域です。

Salesforceの反撃戦略

Agentforceと課金設計の転換

Salesforceの最大の変化は、AIを既存ライセンスの付加機能としてだけ売っていない点です。Agentforceの料金ページを見ると、顧客向けエージェントは1会話あたり2ドルの従量型が前面に出ています。さらにFlex Creditsでは10万クレジット500ドル、PayGoでは「使った分だけ支払う」モデルが示されており、価値の単位を席から行動量へ移す設計が明確です。

これは、防衛策であると同時に自己破壊でもあります。Salesforceは、エージェントが実行したアクションや会話を新しい収益源にしようとしているからです。言い換えれば、「人の数」ではなく「AIがどれだけ実務を処理したか」を売上の起点にしようとしているわけです。

決算資料でも、この転換は数字として見え始めています。FY26ではAgentforce ARRが8億ドル、AgentforceとData 360を合わせたARRは29億ドル超、Agentforce案件は累計2万9000件に達しました。売上全体から見ればまだ中核を置き換える規模ではありませんが、AI関連売上が独立した柱として立ち上がっていることは確かです。

「Agentic Enterprise」戦略の実像

Salesforce経営陣は、自社を「Agentic EnterpriseのOS」と位置づけています。誇張も含む表現ですが、意味は理解できます。狙っているのは、営業、サポート、マーケティング、分析、社内コラボレーションを横断し、人とAIエージェントが同じ業務基盤上で働く状態です。FY26第4四半期時点で、Salesforceは累計19兆トークン処理、24億件のAgentic Work Units、Data 360で112兆レコード取り込みを公表しました。

この数字が示すのは、Agentforceが単独のチャット製品ではなく、既存プロダクト群にまたがる共通レイヤーとして育てられていることです。Slack、Tableau、MuleSoft、Data 360、そしてInformaticaまでつなぎ、顧客接点だけでなく社内ワークフローにも広げようとしている。ここではAIはアプリの置き換えではなく、既存アプリ群をまたぐ実行層として扱われています。

実際、この方向は競合も追っています。MicrosoftはCopilot Studioで月額30ドルのMicrosoft 365 Copilotに加え、クレジット課金を用意しています。ServiceNowは「あらゆるAI、あらゆるエージェント、あらゆるモデル」を企業全体で動かすAIプラットフォームを掲げ、2025年Q4のサブスク売上は21%増でした。

つまり、競争の軸は「AI機能があるか」ではありません。どの企業も、AIエージェントを既存業務のど真ん中に差し込み、その実行量をどう統治し、どう課金するかを競っています。Salesforceはその競争で遅れているどころか、むしろ市場全体の価格再設計を先に進めている側だとみるべきです。

競争環境と本当のリスク

価格と成長率の綱引き

それでもSalesforceが安泰というわけではありません。第一のリスクは、収益転換が進むほど、既存の席課金を自ら侵食しかねないことです。AIが案件更新や問い合わせ要約を代行するなら、顧客はライセンス席数の圧縮を求めやすくなります。

第二に、AIの原価は従来SaaSより重いです。席課金のSaaSは限界費用が低いモデルでしたが、推論、評価、監視、ガードレール、データ接続には継続的な計算コストがかかります。デロイトも、ハイブリッド課金はベンダーにとって収益予測を難しくし、顧客側には予算管理の複雑さを持ち込むと指摘しています。利用量が急増しても利益率がそのまま伸びるとは限りません。

第三に、競合の伸び方です。ServiceNowやMicrosoftが、それぞれ異なる角度からSalesforceの領域へ食い込みます。CRM首位20.7%という地位は強みですが、それは逆に最も狙われやすい位置でもあります。

代替困難性の条件

では、Salesforceは本当に代替されないのでしょうか。厳密には、「何によって代替されるか」で答えが変わります。単発のAIツールや社内製エージェントが、Salesforceの一部機能を置き換えることは十分あり得ます。とくに入力補助、要約、ナレッジ検索、一次応答のような周辺機能は、今後も競争が激しくなるでしょう。

しかし、Salesforce全体を代替するには、顧客データの統合、権限管理、監査性、既存ワークフロー、他システム接続まで引き受ける必要があります。これは単に「AIが賢い」だけでは越えにくい壁です。したがって、防衛線はプロダクト単体ではなく、統合された業務基盤としてどこまで不可欠であり続けるかにあります。

私は、Salesforceの勝敗を分けるのは二択だとみます。AIが既存製品を食い荒らす前に、自社で価格体系とデータ基盤を作り替えられるか。それとも、機能は増えても顧客から「高価な旧来SaaS」の印象を払拭できないか。この差が、今後数年の評価を左右するはずです。これは公開資料の組み合わせからの推論ですが、最も現実的な見立てです。

Agentforce従量課金とFY27増収の焦点

このテーマでよくある誤解は、「AIエージェントが伸びるほど既存SaaSは必ず縮む」と単純化することです。現実には、AIを動かすほど企業データの統合、権限設計、監査、ガバナンスの重要性は増します。AIが増えるほど基盤ソフトの価値も上がる局面は十分にあります。

一方で、「巨大SaaSだから守られる」と考えるのも危険です。市場が見ているのは、成長率と価格転換の両立です。SalesforceはFY27通期で10〜11%増収を見込んでおり、再加速を目指していますが、これがAI起点の新収益でどこまで実現できるかが問われます。Agentforceの案件数やARRは伸びていますが、まだ全社規模を塗り替える途中段階です。

今後の注目点は三つです。第一に、Agentforceの従量課金がどこまで顧客に受け入れられるか。第二に、Informatica統合でデータ品質とガバナンスの優位を本当に広げられるか。第三に、MicrosoftやServiceNowのような「業務基盤型」の競合に対し、SalesforceがCRMを超えた実行基盤として認識されるかです。

SalesforceのAI業務量課金への再設計

「SaaSの死」とは、ソフトウェア産業の終わりではありません。人間の席数を売るモデルから、AIが処理した業務量や成果を売るモデルへの移行圧力です。この変化はSalesforceにとって脅威ですが、同時に得意分野でもあります。なぜなら同社は、顧客データ、周辺アプリ、統合、ガバナンスまで含めた基盤をすでに持っているからです。

Salesforceが示している答えは明快です。AIは自社を代替するものではなく、自社の上で動かすべき新しい労働力だということです。その主張が本当に正しいかは、Agentforceの課金モデルとData 360の基盤力が、今後の業績で証明できるかにかかっています。消えるか残るかではなく、どの価値を誰にどう売るか。その再設計こそが、この論争の核心です。

参考資料:

山本 涼太

AI・半導体・先端技術・SaaS

AI・半導体・通信などの先端技術とそれを事業化する企業を取材。技術の本質と市場インパクトをわかりやすく解説する。

関連記事

AI経営判断が企業を二分する勝者と敗者の条件と実装ロードマップ

生成AIの導入率は高まる一方、成果は一部企業に集中しています。McKinseyやMicrosoft、BCGの調査とKlarna、Modernaの事例を基に、AIエージェントを経営判断と業務実行へ組み込む企業が勝ち、実験止まりの企業が遅れる構造を、データ基盤、ガバナンス、人材再設計から実務視点で解説。

トリドール経理DX、月1000時間削減を生んだ仕組みと現場改革

丸亀製麺を展開するトリドールHDは、経費精算、請求書、入金消込をSaaSとBPOで再設計し月約1000時間を削減。急成長で複雑化した多店舗経理を、NetSuite、TOKIUM、BlackLine、データ連携基盤がどう支えたのか。電子帳簿保存法やインボイス制度対応も含め、経理DXの成功条件と課題を解説。

最新ニュース

中国レアアース規制で止まる日本製造業の現場と日米豪の反撃策の全容

中国の対日レアアース規制で、ジスプロシウムやテルビウムを含む高性能磁石の供給が細り、日本の自動車・産業機械に生産不安が広がる。邦人拘束、7月の対日磁石輸出半減、南鳥島沖での揚泥成功、日米豪の投資枠組みを照合し、資源を武器化する中国と日本企業の調達現場に迫る圧力、政府の反撃策とその限界を深く読み解く。

ジョブ型雇用の落とし穴、導入企業を悩ませる三つの盲点と処方箋

ジョブ型雇用は職務と報酬を結び付ける改革として広がる一方、導入済み企業は約3割にとどまり、職務定義、評価、労使合意でつまずく例もあります。富士通、日立、KDDI、パナソニック コネクトの事例と厚労省資料から、年功制を置き換えるだけでは機能しない理由と、人材戦略に生かす条件と採用難時代の論点まで実務目線で読み解く。

メガバンクがClaudeミュトス利用へ、金融AI防衛の新たな焦点

米政府の一時停止を経て、三菱UFJ・三井住友・みずほなどメガバンクがAnthropicのClaude Mythosをサイバー防衛に試す局面へ。ゼロデイ探索力と悪用リスク、30日データ保持、官民連携会議、金融システムのサードパーティ管理まで、国際規制対応も含め経営判断と技術実装の両面から詳しく統制を解説。

トヨタ自動運転レベル2++市販化へ2028年量産の勝算と課題

トヨタが2028年から市販車へ導入を目指す自動運転レベル2++は、E2E AIとルールベースの安全機構を組み合わせる量産戦略です。Waymo連携、日産・ホンダ・Teslaとの競争、SAE分類との違い、法規制、警察庁統計が示す事故削減余地、OTA更新や説明責任の課題まで実用化の条件を製造業の視点で解説。

円買い介入15兆円でも円安圧力が消えない構造要因と地方財政リスク

財務省が7月30日から8月26日までに実施した円買い・ドル売り介入は15兆3993億円に達した。それでも円相場は159円台へ戻り、日米金利差、国際収支、輸入物価が自治体財政まで揺らす。過去最大の介入が時間稼ぎにとどまる理由を、日銀・FRBの政策差、エネルギー支援、地方交付金の役割から具体的に読み解く。