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ホルムズ危機で再点検 第1次石油危機に学ぶ日本の備えと対応戦略

by 田中 健司
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はじめに

ホルムズ海峡をめぐる緊張は、2026年3月に入って一段と重くなりました。3月11日にはIEAが過去最大となる4億バレルの協調放出を決め、日本政府も3月16日に民間備蓄義務量の引き下げと国家備蓄放出を決定し、3月24日には国家備蓄原油の具体的な放出を発表しています。3月19日にはIMOも、ホルムズ海峡の「閉鎖とされる状況」に対し、安全航行の国際枠組みづくりを求めました。

こうした局面で重要なのは、1973年の第1次石油危機を単なる昔話として扱わないことです。日本はあのとき、価格の高騰、買い占め、供給不安、対中東依存という複合危機に直面しました。そして短期の統制と長期の制度改革を組み合わせることで、危機対応の型を作りました。本稿では、第1次石油危機で日本が何を行い、その知恵のどこが2026年4月時点でも有効なのかを整理します。

第1次石油危機で日本が直面した二重の混乱

供給不安と狂乱物価

1973年当時の日本は、資源エネルギー庁によれば一次エネルギー供給のうち石油が77%を占め、その8割近くを中東輸入に依存していました。つまり、日本経済は安価な中東石油を前提に組み立てられており、供給の揺らぎがそのまま生活不安と物価上昇に直結する構造だったわけです。トイレットペーパー買い占めが象徴になったのは、単なる流通トラブルではなく、供給不安が心理不安に転化したためです。

物価面の打撃も深刻でした。日本銀行の公表資料では、第一次オイルショック後の1974年に国内の消費者物価指数が前年比23%上昇したとされます。二桁台後半に迫るインフレ圧力が家計と企業の判断を揺らし、供給不安が物価不安へ、物価不安がさらに買い急ぎへとつながる悪循環を生みました。

重要なのは、危機の本質が「石油が足りない」だけではなかったことです。実際には、供給減少への恐怖、先回りした値上げ、家計と企業の仮需、賃金と価格の連鎖が同時進行しました。第1次石油危機の教訓は、エネルギー危機は必ず心理と価格の危機を伴う、という点にあります。

石油二法による価格と消費の統制

日本が最初に行った対応は、自由市場に全てを委ねることではありませんでした。資源エネルギー庁のエネルギー白書によると、政府は石油不足とモノ不足、買い占めの拡大に対し、「石油需給適正化法」と「国民生活安定緊急措置法」のいわゆる石油二法を制定しました。そこで実施されたのは、石油供給目標の策定、石油使用の制限、一部物資の標準価格の設定です。

この順番が重要です。先に「不足の配分」と「値上がりの抑制」を行い、パニックが需要を増幅させないようにしたのです。危機時には、供給そのものをすぐ増やせない以上、需要の暴走を止めるしかありません。第1次石油危機で日本が示した先達の知恵とは、買い占めを道徳論で非難するのではなく、制度で抑え込むという発想でした。

もちろん統制には副作用もあります。価格を固定しても、実物が足りなければ闇取引や配分のゆがみが起きます。それでも、短期危機では「市場価格に全てを任せれば需給が整う」という発想だけでは国民生活を守れないことを、日本は1973年に身をもって学びました。

危機後に築いた備蓄・省エネ・多角化

備蓄とIEA協調の制度化

第1次石油危機後、日本は短期の統制で終わらず、危機を制度へ変えました。資源エネルギー庁によれば、石油備蓄法は1975年に制定され、国家備蓄は1978年度から始まっています。さらに2026年3月公表の「石油備蓄の現況」では、2026年1月末時点で国家備蓄146日分、民間備蓄96日分、産油国共同備蓄6日分の合計248日分を保有していました。IEA基準でも210日分に相当します。

この備蓄政策は国内だけで閉じていません。IEAは1973年から1974年の石油危機を受けて1974年に創設され、加盟国に純輸入90日分以上の石油備蓄を求めています。2026年3月11日にIEAが4億バレルの協調放出を決められたのも、この制度基盤があるからです。日本の備蓄は、1973年には持てなかった時間を、2026年の日本に与えています。

加えて現在の日本は、UAE、サウジアラビア、クウェートとの産油国共同備蓄という仕組みも持っています。これは日本国内のタンクを産油国国営会社の商用原油拠点として貸し出し、供給危機時には日本企業が優先供給を受けられる枠組みです。1973年の教訓が、「在庫を持つ」だけでなく「関係を持つ」政策に進化した例といえます。

省エネと脱石油の長期転換

もう一つの柱は、省エネとエネルギー源の多様化です。エネルギー白書によれば、日本は石油危機後に省エネ法を1979年に制定し、1980年には石油代替エネルギー法を整備しました。企業に対しエネルギー使用の管理を求め、技術開発支援も進めた結果、日本の省エネ水準は長期的に高まりました。

構造転換の成果は数字にも表れています。資源エネルギー庁によると、日本の一次エネルギー供給に占める石油の比率は1973年度の75.5%から2021年度には36.3%まで低下しました。原油の中東依存度も、1967年度の91.2%から1987年度には67.9%まで下がっています。危機後の日本は、単に石油を節約しただけでなく、石油依存そのものを引き下げようとしました。

ただし、ここには大きな留保があります。2023年度の日本の原油輸入に占める中東依存度は94.7%でした。かつて下げた依存度が、再び高水準へ戻っているのです。つまり、日本は制度と経験を蓄積した一方で、地理的・市場的な制約からホルムズ海峡リスクを完全には脱していません。この点は、1973年と2026年をつなぐ最も重い現実です。

2026年ホルムズ危機への示唆

備蓄放出だけでは足りない理由

ホルムズ海峡の重みは、今も圧倒的です。IEAによれば、2025年に同海峡を通過した原油・石油製品は日量2000万バレルで、世界の海上石油取引の約25%を占めました。LNGでも、2025年に海峡経由量は約1120億立方メートルと世界貿易のほぼ2割に達し、その約9割はアジア向けです。EIAも、2024年に海峡を通った原油・コンデンセートの84%、LNGの83%がアジア向けだったと分析しています。

ここから見えるのは、2026年の危機が1973年より広いという点です。今の日本は原油だけでなく、電力や都市ガス、化学原料、海運保険、物流コストまで同時に影響を受けます。しかもIMOは3月19日、安全航行の権利尊重と国際協調の暫定的な安全航行枠組みを求めました。問題は「油があるか」だけでなく、「船が通れるか」「保険が付くか」「荷が着くか」に広がっています。

したがって、備蓄放出は必要条件ですが十分条件ではありません。日本政府が3月16日に民間備蓄義務量を70日から55日に引き下げ、国家備蓄放出を決めたのは合理的です。しかし、同時に必要なのは、需要抑制、価格高騰の緩和、物流網の維持、重要部門への優先配分です。これはまさに、第1次石油危機で日本が先に行った対応と同じ発想です。

先達の知恵として有効な優先順位

2026年4月時点で生きる教訓は三つあります。第1に、危機初期は価格と需要の管理をためらわないことです。市場の混乱を放置すると、供給不足より先に生活不安が拡大します。第2に、備蓄は放出そのものより、放出までの意思決定と配送能力が重要だということです。第3に、危機が落ち着いた後にこそ、省エネ、燃料転換、調達先多角化を再強化しなければならないということです。

特に見落とされやすいのが第3点です。危機時にはどうしても目先の放出量や補助金に注目が集まりますが、第1次石油危機の本当の成果は、その後に省エネ法や備蓄制度、代替エネルギー政策を定着させたことにありました。短期対策を長期改革につなげられるかどうかが、先達の知恵を本当に継承できるかの分岐点になります。

注意点・展望

注意したいのは、第1次石油危機の再現という見方が半分だけ正しく、半分は誤りだという点です。確かに日本は今も中東依存度が高く、ホルムズ海峡は依然として急所です。ただ、1973年と違い、今は石油備蓄、IEA協調、共同備蓄、省エネ制度という防波堤を持っています。そのため、直ちに店頭からモノが消える局面と断定するのは早計です。

一方で、安心しすぎるのも危険です。備蓄は時間を稼ぐ装置であって、海峡の地政学リスクそのものを消す装置ではありません。しかも現在の危機はLNGと海運の安全保障を含むため、原油価格だけを見ていては実態を見誤ります。今後の焦点は、ホルムズ海峡の通航がいつ再開するかだけでなく、国際的な安全航行枠組みがどう具体化するか、日本がどこまで需要側の節約と供給側の優先配分を両立できるかにあります。

まとめ

第1次石油危機で日本が示した知恵は、まず価格と消費の暴走を抑え、そのうえで備蓄、省エネ、多角化を制度化したことでした。危機対応を一時しのぎで終わらせず、次の危機への備えに変えた点こそが核心です。

2026年4月のホルムズ危機でも、この順番は変わりません。短期では備蓄放出と需要管理、中期では物流と価格の安定化、長期では石油と中東への過度な依存の引き下げです。ホルムズ海峡のリスクを前にして本当に問われているのは、1973年の教訓を知っているかではなく、それを2026年の制度と政策にまで翻訳できるかどうかです。

参考資料:

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