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非上場株取引を個人へ広げる特定投資家改革の論点と投資家保護策

by 鈴木 麻衣子
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非上場株改革が家計資金に向かう背景

金融庁が進める非上場株取引の個人向け要件緩和は、単なる投資商品の拡充ではありません。日本のスタートアップに長期の成長資金を届け、創業者や従業員、既存投資家が上場前に保有株を換金できる道を広げる資本市場改革です。

日本銀行の資金循環統計では、2025年12月末の家計金融資産は2351兆円、うち現金・預金は1140兆円で48.5%を占めます。一方、非上場株の取引制度であるJ-Shipsの株式取扱実績は、2025年10月末時点で33件、資金調達額246億円にとどまります。眠る家計資金と成長企業の資金需要をどう結ぶかが、今回の制度見直しの核心です。

ただし、非上場株は上場株より情報が少なく、売りたい時に売れるとは限りません。制度の焦点は「誰でも買える市場」をつくることではなく、知識、経験、リスク許容度を備えた個人に限定して門戸を広げる点にあります。投資家保護と成長資金供給の均衡をどう設計するかが、今後の実効性を左右します。

J-Shipsと特定投資家制度の実務構造

発行市場と流通市場をつなぐ枠組み

J-Shipsは、日本証券業協会が2022年7月に始めた特定投資家向け銘柄制度です。証券会社を通じて、非上場企業の株式や投資信託などを「特定投資家」向けに発行・流通させる仕組みです。資金調達を行う発行市場と、既存株主が株式を売買する流通市場を、上場市場とは別のルールで整備する狙いがあります。

特定投資家とは、金融商品取引法上、情報収集力や分析能力、リスク管理能力が高いと考えられる投資家です。適格機関投資家や国、日本銀行などは当然に該当しますが、一定の要件を満たす法人や個人も、証券会社への申出と承諾を経て特定投資家として扱われます。ここで重要なのは、特定投資家向け取引では広告規制、契約締結前書面の交付、適合性原則など一部の行為規制が一般投資家向けより柔軟になることです。

そのため、制度は「開放」と「規律」の両方を持ちます。J-Shipsで扱われる銘柄は取引所に上場されておらず、有価証券報告書を公表していない会社や、公認会計士・監査法人の会計監査を受けていない会社も含まれます。市場価格のような客観的な参考価格がない場合も多く、投資先が倒産すれば投資額がゼロになる可能性があります。

この性格を踏まえ、J-Shipsでは証券会社が取扱銘柄を審査し、非上場株のリスクや重要事項を記載した説明書を投資家へ示す建て付けです。さらに、特定証券情報や発行者情報を提供・公表する仕組みも置かれています。上場会社並みの継続開示を求める制度ではありませんが、完全な相対取引に委ねるよりも透明性を高める設計です。

取扱実績が示す制度普及の壁

制度整備は段階的に進んできました。2023年7月には、特定投資家向け有価証券をPTSで取り扱えるようになりました。2025年には、非上場有価証券特例仲介等業務や登録PTS制度など、仲介者や取引インフラの参入を促す改革も進みました。背景には、上場だけに頼らない資金調達と、上場前株式の換金機会を広げる必要があります。

それでも実績はまだ小さいです。金融審議会のディスクロージャーワーキング・グループ報告では、J-Shipsの株式取扱件数は2025年10月末時点で33件、資金調達金額は246億円とされています。TOKYO PRO Marketも上場会社数は2020年3月末の33社から2025年11月末には161社に増えた一方、2024年4月から2025年3月までの売買代金は52億円にとどまり、グロース市場の32兆円と大きな差があります。

この数字は、制度が不要であることではなく、参加者の厚みと流動性がまだ足りないことを示します。スタートアップ投資は、上場やM&Aまで資金回収の道が限られます。流通市場が薄いままでは、創業者や従業員の資産が会社株に集中し、VCや事業会社も次の投資へ資金を回しにくくなります。結果として、非上場段階での大型資金調達や長期成長戦略が制約されます。

企業経営の視点では、セカンダリー市場の整備は単なる出口確保ではありません。従業員持株やストックオプションの価値を現実の資産形成につなげること、成長段階ごとに適した投資家へ株主構成を組み替えること、そして上場を急がずに事業基盤を固める選択肢を持つことに関わります。非上場株の流通は、資本政策とガバナンスの設計そのものです。

個人マネーを呼び込む制度緩和の核心

現行要件がつくる狭い入口

個人が特定投資家に移行するには、現行制度でも複数のルートがあります。代表例は、純資産と投資性金融資産がともに3億円以上と見込まれ、最初の金融商品取引契約から1年を経過している個人です。ほかにも、純資産または投資性金融資産が5億円以上、前年収入が1億円以上といった要件があります。

金融庁は2025年3月、一定の年収・資産を持つ個人が特定投資家となる際に必要な「特定の知識経験」を明確化しました。上場会社の役員、上場会社やスタートアップで経営戦略・新規事業・資本政策に中核的に関わった人、M&AやIPO業務に関与した人、公認会計士や税理士などが例示されています。金融資産の大きさだけでなく、企業価値評価や資本政策を理解できる経験を重視する方向です。

それでも、入口は狭いままです。特定投資家への移行は、契約の種類ごとに金融商品取引業者へ申し出る必要があります。地位は申出先の業者との関係で成立し、有効期間は原則1年です。更新申出が必要なため、投資家にも証券会社にも手続負担が生じます。制度を使える人がいても、実際には申請せず、非上場株投資の対象者として捕捉されない問題があります。

今回の要件緩和で注目されるのは、こうした手続や対象者の狭さをどう直すかです。中小企業の役員や経営実務に通じた個人まで間口を広げれば、単なる富裕層だけでなく、事業を見る力を持つ投資家を市場に呼び込めます。これは、企業経営・ガバナンスの理解を投資判断に反映させる制度設計でもあります。

潜在的特定投資家と準特定投資家

金融審議会の報告では、特定投資家要件を満たし、高い情報分析能力を持つにもかかわらず移行手続を取っていない人を「潜在的特定投資家」と位置づけ、特定投資家私募の相手方に加える案が示されています。開示規制は特定投資家向けと同じ枠組みとしつつ、行為規制は一般投資家向けと同じく適合性原則などを適用する考え方です。

日証協と金融庁が共催した「スタートアップ企業等への成長資金供給等に関する懇談会」でも、準特定投資家という考え方が議論されています。特定投資家への移行要件を満たすが申出をしていない投資家のうち、スタートアップ投資に適格性を持つ人に対し、少人数私募や少額免除などを使った非上場株投資の道を検討するものです。

この方向性は、米国のプロ投資家向け私募制度を意識したものです。ただし、日本で同じ仕組みを移植するには、販売現場の適合性確認と発行体の情報提供を欠かせません。非上場株は値動き以前に、価格がどう形成されたのか、次の売却機会がいつあるのか、希薄化や優先株条件が普通株にどのように影響するのかが見えにくい商品です。投資家の属性だけで線を引くと、リスク理解が追いつかないまま販売が先行します。

野村総合研究所の推計では、2023年時点で純金融資産1億円以上5億円未満の富裕層は153.5万世帯、5億円以上の超富裕層は11.8万世帯です。両者合計の純金融資産は469兆円とされます。この厚い資産層の一部が非上場株投資に向かえば、市場規模は大きく変わります。一方で、資産を持つことと、未公開企業の事業リスクを評価できることは同義ではありません。制度設計では、この差を埋める説明責任が問われます。

家計金融資産と成長資金の接続

政府はスタートアップ育成5か年計画で、スタートアップへの投資額を2027年度に10兆円規模へ拡大する目標を掲げています。2021年の投資額8200億円を基準に、約10倍への拡大を狙う政策です。もっとも、民間データを見ると、国内スタートアップの資金調達は直線的に増えているわけではありません。

スピーダの2025年動向では、国内スタートアップの資金調達総額は7613億円で、前年同時期の集計額からほぼ横ばいとされています。シリーズAの調達総額は2024年の1684億円から2025年は1391億円へ減り、社数も519社から501社へ減少しました。シリーズBは金額が1726億円から1924億円へ増えた一方、社数は351社から312社へ減っています。少数の企業に資金が厚く集まる選別局面です。

この環境では、個人マネーの役割は「広く薄くばらまく資金」ではありません。事業経験や業界知見を持つ個人が、特定領域の成長企業に長期資金と助言を提供することに意味があります。特にディープテック、医療、エネルギー、BtoBソフトウエアのように、上場まで時間がかかる分野では、短期の株価上昇よりも事業化の節目を見極める投資家が必要です。

一方、家計資金を成長投資へ動かす政策は、NISAの延長線だけでは成立しません。上場投信や上場株と異なり、非上場株は分散投資、時価評価、売却、税務処理のすべてが難しくなります。証券会社は、販売手数料ではなく投資家の理解度と保有余力を基準に顧客を選別する必要があります。発行体も、資金調達額だけでなく、株主の質と情報提供コストを含めた資本政策を組み立てる必要があります。

情報格差と流動性不足が残す保護課題

非上場株の最大のリスクは、価格変動の大きさだけではありません。情報の非対称性、価格の不透明さ、換金困難性が同時に存在する点です。上場会社なら有価証券報告書、四半期ごとの開示、適時開示、監査済み財務諸表、市場価格があります。非上場企業では、これらが限定的で、投資家は発行体や取扱証券会社から提供される情報に大きく依存します。

日証協は、J-Ships銘柄について一般投資家への譲渡制限、取扱協会員による審査、特定証券情報や発行者情報の提供といった枠組みを置いています。それでも、事業計画の達成可能性、優先株の権利、将来ラウンドでの希薄化、経営者と既存株主の利害対立までは、制度だけで完全には解決できません。非上場株投資では、契約条件の読み込みが投資判断の中心になります。

特に注意すべきは、勧誘可能な投資家層が広がる局面での販売インセンティブです。証券会社が新たな商品ラインとして非上場株を扱えば、発行体には資金調達の機会が増え、投資家には上場前の成長を取り込む機会が生まれます。その一方で、成長ストーリーが強調され、売却できない期間や情報の限界が軽く扱われれば、制度への信頼は一気に傷つきます。

企業側にもガバナンスの整備が求められます。取締役会の実効性、利益相反取引の管理、関連当事者取引の説明、資本政策の一貫性、従業員株主への情報提供は、非上場企業でも避けて通れません。個人投資家を迎えることは、資本市場の規律を一部受け入れることです。上場前だから緩くてよいのではなく、上場前だからこそ情報格差を補う仕組みが必要です。

また、セカンダリー取引では内部情報の管理が難しくなります。役職員、元役職員、取引先、既存投資家が売り手や買い手になる場合、誰がどの情報を持っているかに大きな差が生じます。取引価格の妥当性を担保するには、発行体の承認手続、情報提供の範囲、取引窓口、価格算定方法を事前に定める必要があります。非上場株市場の信頼は、制度名よりも運用の細部で決まります。

投資家と企業が確認すべき判断軸

個人投資家が非上場株に向き合う際は、期待リターンより先に、保有期間、売却可能性、追加資金調達時の希薄化、優先株と普通株の権利差を確認すべきです。少なくとも、5年から10年売れなくても生活資金に影響しない範囲に抑えることが前提になります。上場前に買えること自体は優位性ではなく、情報が少ない段階でリスクを引き受けることを意味します。

発行体にとっては、資金の量だけでなく株主の性格が重要です。業界知見を持つ個人、事業提携につながる投資家、長期保有を前提にする投資家は、単なる資金提供者以上の価値を持ちます。一方、短期の換金期待が強い株主を増やせば、次回調達や上場準備の制約になります。非上場株改革は、資本政策の自由度を高める一方で、経営陣により高度な説明責任を求めます。

今後注視すべき指標は、内閣府令改正の具体的な要件、日証協の自主規制規則、登録PTSや非上場有価証券特例仲介等業者の参入状況、J-Shipsの月次統計、そして投資家トラブルの有無です。制度が成功するかは、個人資金がどれだけ流入したかだけでは測れません。成長企業に長期資金が届き、投資家がリスクを理解し、企業統治が強くなる市場になったかで判断すべきです。

参考資料:

鈴木 麻衣子

企業経営・コーポレートガバナンス

企業経営・コーポレートガバナンスを専門に取材。経営戦略の成功事例から不正会計の構造的問題まで、企業の「あり方」を鋭く問う。

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