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円39年半ぶり安値、ドル買い圧力が揺らす日本経済と政策対応の行方

by 中村 壮志
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円安が示すドル優位と日本の物価圧力

29日の外国為替市場で、円は対ドルで一時1ドル=161円97銭近辺まで下落しました。市場報道では、ドル円は161円台後半から161円90銭前後で推移し、1986年12月以来の円安・ドル高水準に接近したことが確認されています。

今回の円安は、単に「日本の通貨が売られた」というだけの話ではありません。米国の利上げ観測、中東情勢に伴うドル需要、日銀の利上げ後も残る日米金利差、さらに介入警戒の限界が重なった結果です。為替は輸入物価、企業収益、個人の資産運用、政府の経済政策を同時に揺らすため、161円台という水準そのものより、そこに至った構造を読む必要があります。

歴史的な比較対象となる1986年は、前年のプラザ合意を受けてドル安・円高が進んだ時期でした。現在は逆に、米国のインフレ懸念と地政学リスクがドルを支えています。同じ160円台でも、当時とは政策環境も国際情勢も大きく異なります。

161円台を招いた日米金利差と地政学

FRB利上げ観測を強めた米物価

円売り・ドル買いの中心にあるのは、米国金利の先高観です。FRBは6月17日のFOMCで、フェデラルファンド金利の誘導目標を3.5〜3.75%に据え置きました。声明では、米経済が不確実性の下でも堅調に拡大し、雇用も大きく崩れていない一方、インフレが2%目標を上回っているとの認識を示しました。

同日に公表された経済見通しでは、2026年のPCEインフレ率の中央値が3.6%、コアPCEが3.3%とされました。政策金利の年末見通しも3.8%で、3月時点より高い水準です。市場が「次の一手は利下げではなく利上げかもしれない」と織り込み始めたことが、ドルを支える材料になっています。

民間報道でも、5月の米PCE価格指数が前年比4.1%、食品とエネルギーを除くコアが3.4%上昇したと伝えられています。エネルギー価格だけでなく、所得と消費の底堅さ、AI関連部材の価格上昇も物価を押し上げる構図です。米国の名目金利が高止まりし、実質金利も相対的に魅力を保つなら、短期資金はドルに向かいやすくなります。

日銀1%利上げでも埋まらない差

日銀は6月の金融政策決定会合で、無担保コール翌日物金利の誘導目標を0.75%程度から1.0%程度へ引き上げました。日銀資料は、原油高に伴う企業間取引での価格転嫁、幅広い消費者物価への波及、中長期のインフレ期待上昇をリスクとして挙げています。

ただ、1%への利上げだけでは、米国との名目政策金利差はなお2.5〜2.75ポイント程度残ります。日本の利上げは円を支える方向に働くはずですが、米国側で利上げ観測が強まれば、その効果は相殺されます。AP通信も、日銀の1%利上げ後も円相場に目立った改善は見られないと報じました。

市場が見ているのは、日銀が追加利上げをどこまで続けられるかです。円安による輸入物価上昇を抑えるには利上げが有効ですが、急な引き締めは住宅、設備投資、財政運営に重くのしかかります。日銀は物価安定を掲げながらも、景気を冷やしすぎない範囲を探る難しい局面にあります。

ホルムズ不安と介入限界が映す円売り構造

中東の海上交通が映す安全保障リスク

今回の円安には、中東情勢も深く関わっています。ホルムズ海峡は、世界の石油供給にとって重要な海上チョークポイントです。AP通信は、米国とイスラエルによる対イラン攻撃が始まる前まで、世界の石油の約5分の1が同海峡を通過していたと伝えています。

6月下旬には海峡の船舶通航が回復しつつあるとの報道もあります。Axiosによると、6月24日に海峡を出た石油量は1340万バレル、25日は1170万バレルに達しました。ただし、戦争前に1日約2000万バレルの石油・石油製品が通過していた水準には届いていません。海峡を出る船だけでなく、積み荷を取りに入る空船の数が戻るかが、供給正常化の判断材料になります。

地政学リスクが高まる局面では、ドルは決済通貨であると同時に逃避先として買われやすくなります。日本はエネルギーと食料を輸入に大きく依存しており、中東の海上交通が不安定化すると、円安と輸入コスト上昇が同時に家計と企業へ波及します。安全保障上の不確実性が、金融市場を通じて生活コストに届く構図です。

貿易赤字と輸入コストの重荷

日本の貿易収支にも、円安の負担は表れています。AP通信が財務省統計を基に報じた5月の貿易データでは、輸出は前年同月比17%増の9兆5100億円、輸入は12.5%増の9兆8900億円でした。差し引きでは3786億円の赤字となり、4カ月ぶりの貿易赤字です。

輸入増の一因は、AI関連需要による電気機器の輸入拡大です。同報道では、電気機器の輸入が31.5%増えたとされています。石油輸入は金額で28.5%減、数量で57.3%減った一方、輸出入全体の金額は価格上昇と円安で押し上げられました。ドル円が前年の140円台から160円前後へ動いたことも、輸入額を膨らませる要因です。

円安は輸出企業の円建て収益を押し上げる面があります。しかし、製造拠点の海外移転が進んだ企業や、ドル建て原材料を多く使う企業では、恩恵よりコスト増が目立つ場合があります。家計にとっては、ガソリン、電気料金、輸入食品、海外旅行費用の上昇として現れます。円安は企業部門の一部には追い風ですが、日本経済全体では物価と実質所得を圧迫する側面が強まっています。

過去最大級介入が残した短期効果

市場では、政府・日銀による円買い介入への警戒も強まっています。WSJは、日本当局が4月28日から5月27日にかけて、円支援のために11兆7349億円、約736億9000万ドルを投じたと報じました。これは2024年の介入額を上回る過去最大級の規模です。

ただし、介入の効果は長続きしにくい状況です。2024年にも、日本は4月下旬から5月下旬にかけて9兆7890億円規模の介入を実施したと報じられましたが、その後も円安圧力は残りました。介入は相場の速度を抑える手段であり、金利差、貿易収支、エネルギー価格、投資資金の流れを根本から変えるものではありません。

日本政府高官は、必要に応じて適切な対応を取る姿勢を示しています。市場参加者にとっては、162円台やその先の水準で介入が入るかが短期の焦点です。ただ、米国がインフレ抑制を優先し、ドル高を容認する環境では、単独介入だけで流れを反転させるのは難しくなります。

プラザ合意期と異なる国際協調の条件

1985年のプラザ合意は、米国、日本、西ドイツ、英国、フランスのG5がドル高是正で一致した歴史的な枠組みでした。Investopediaは、当時のドルが1980年初から1985年3月のピークまで47.9%超上昇し、合意後2年間で25.69%下落したと整理しています。

しかし、今回の局面で同じような国際協調が成立する条件は乏しいです。米国は中東発のエネルギー価格上昇と国内需要の強さに直面し、FRBは物価安定を最優先に置いています。ドル高は米国の輸入物価を抑える効果も持つため、米当局が積極的にドル安誘導へ動く動機は強くありません。

日本側も、円安を止めるためだけに急速な利上げを続ければ、国内景気と財政に副作用が出ます。つまり、介入、利上げ、財政支援のどれか一つで解決できる問題ではありません。為替政策は、米国のインフレ、中東の供給不安、日本の成長力という三つの制約の中で運営されることになります。

中東情勢と米指標が左右する次の焦点

今後の焦点は、まず米国の物価指標です。PCE、雇用統計、賃金、長期金利が強いままなら、FRBの利上げ観測は残り、円の反発は限られます。逆に、エネルギー価格の低下が広く物価に波及し、米消費の過熱感が薄れれば、ドル買いの勢いは弱まります。

次に、中東の海上交通です。ホルムズ海峡の通航量が一時的に戻っても、保険料、船主のリスク判断、湾岸産油国の生産再開ペースが正常化しなければ、原油価格の不安定さは続きます。日本にとっては、原油価格そのものと同じくらい、ドル建て決済コストと輸入数量の安定が重要です。

三つ目は日銀の追加利上げ余地です。日銀が景気を冷やさずに正常化を進められるとの見方が強まれば、円売りは和らぎます。一方で、国内指標が弱ければ、追加利上げの遅れを見越した円売りが再燃します。円相場は、米指標だけでなく、日本の実体経済への信認も試す局面です。

家計と企業が点検すべき為替耐性

161円台の円安は、投機的な一時変動として片づけにくい水準です。家計は、燃料、電力、食料、教育費、海外旅行など、ドル建てコストに連動しやすい支出を点検する必要があります。投資家は、外貨建て資産の評価益だけでなく、円高反転時の為替差損も見ておくべきです。

企業は、輸出採算よりも仕入れ通貨、販売通貨、在庫期間、ヘッジ比率の再確認が重要です。特にエネルギー、化学、食品、半導体関連部材では、円安と供給不安が同時に発生するシナリオを想定する必要があります。

為替の節目はニュースになりやすいですが、実務上の焦点は水準そのものではなく、日米金利差、米物価、中東の海上交通、政府介入の持続性です。読者が次に見るべきなのは、円相場の瞬間値ではなく、その背後でドル需要を生み続けている条件が変わるかどうかです。

参考資料:

中村 壮志

国際情勢・地政学・安全保障

中東・米中関係を中心に国際情勢を取材。地政学リスクが日本経済に与える影響を、現地の視点から分析する。

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