金融と化学業界で進む人権デューデリジェンス実務の最新要点解説
はじめに
「ビジネスと人権」は、企業イメージではなく経営管理の中核テーマへ移っています。日本政府は2022年9月に人権尊重ガイドラインを策定し、2023年4月には実務参照資料を公表しました。さらに2025年12月24日には行動計画を改定し、企業に対して人権デューデリジェンス導入の促進を改めて打ち出しています。
重要なのは、業界ごとに人権リスクが現れる場所が違うことです。金融は自社工場を持たなくても、融資や投資、商品設計を通じて負の影響に関与し得ます。化学は原料調達、工場操業、地域社会との関係が複雑に重なります。この記事では、国際原則と日本の政策を土台に、金融と化学で実際に何が進んでいるのかを整理します。
金融業界で進む実装の中身
投融資審査と人権リスクの接続
国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」は、企業に対し方針、デューデリジェンス、救済への関与を求めています。OECDもこれに整合する6段階のリスクベースの枠組みを示し、2019年には法人向け融資や証券引受に特化した手引きを公表しました。金融機関向けにはUNEP FIも、方針策定、スクリーニング、モニタリング、開示、苦情処理を一体で整えるツールを公開しています。
金融業界の特徴は、負の影響が「自社の現場」より「顧客や案件を通じて」現れやすいことです。そこで実務は、投融資前の審査と案件実行後のモニタリングに集中します。エクエーター原則は、プロジェクトファイナンスで環境・社会リスクを管理する共通基準として広く使われており、2020年10月発効のEP4では人権アセスメントが追加されました。大規模開発案件で、先住民族や移転住民、労働者への影響を事前に問う流れが明確になった形です。
国内行の開示も具体化しています。みずほフィナンシャルグループは、人権方針の下に人権デューデリジェンスと苦情処理メカニズムを置き、取引先で人権課題を検知した場合は強化デューデリジェンスを実施すると明示しています。新商品や新サービスの開発時にも人権影響を確認する体制を示しており、論点を法人融資だけに限定していません。三菱UFJフィナンシャル・グループも、人権課題マップを用いて重点論点を整理し、先住民族のFPICや非自発的住民移転などをファイナンス時の確認項目として掲げています。
救済と対話を含む管理体制
金融機関の人権対応は、チェックリストを増やすだけでは機能しません。UNEP FIの整理でも、ステークホルダーエンゲージメントと救済へのアクセスは横断テーマです。融資先に問題が見つかったとき、即時撤退だけでは改善につながらない場面も多く、金融機関がどこで影響力を行使し、どこで条件付けや対話を行うかが重要になります。
この点で、金融の実務は「融資審査」から「継続的関与」へ広がっています。取引先の人権課題を深掘りし、必要に応じて強化審査や条件設定を行い、開示や対話を通じて改善を促す流れです。日本の行動計画改定も、人権への負の影響の特定、評価、予防、軽減、対処という一連の行為を重視しており、金融ではこの連続性をどう組み込むかが実務の核心になっています。
化学業界で進む実装の中身
原料調達と工場操業にまたがる論点
化学業界では、人権リスクがサプライチェーンと操業現場の両方にまたがります。上流では鉱物や農産由来原料の調達、物流、委託先管理があり、児童労働や強制労働、劣悪な労働環境が論点になりやすい構造です。下流では工場の安全、地域住民への影響、保安・警備、苦情対応が重要になります。つまり化学の人権対応は、調達部門だけでは閉じません。
三菱ケミカルグループは、人権方針に基づき、サプライチェーン上の人権デューデリジェンスの仕組みを構築していると開示しています。人権侵害の事実や可能性を特定するためにステークホルダー対話を行い、全社リスクマネジメントの中で人権リスクを特定・評価し、効果検証まで進める設計です。実施事例として、取引先への状況確認、購買・調達部門向け教育、責任ある鉱物調達が挙げられており、調達現場の運用まで落としている点が特徴です。
グローバル企業のBASFも、人権リスク管理をChief Human Rights Officerが統括し、調達、法務、人事、環境安全、サステナビリティなどの横断チームで改善を進めています。さらに独立したHuman Rights Advisory Councilを2020年に設け、外部専門家の助言を組み込んでいます。同社はTogether for SustainabilityやResponsible Careにも関与しており、化学業界では単独企業の努力だけでなく、共通基準や共同監査の仕組みが実務を支えていることが分かります。
業界横断の仕組みと企業体制
化学業界では、以前から環境・安全・健康を対象にしたレスポンシブル・ケアの検証文化がありました。日本化学工業協会による検証制度はEHS色の強い枠組みですが、説明責任や第三者検証に慣れた業界基盤として機能しています。ここに人権デューデリジェンスを接続し、労働や地域社会への影響まで対象を広げるのが現在の流れです。これは公開資料を踏まえた推論ですが、化学業界で人権実務が組み込みやすい背景の一つとみてよいでしょう。
一方で、既存の安全管理だけでは不十分です。人権課題には、ハラスメントや差別、外国人労働者の処遇、サプライヤーの強制労働、地域住民との関係など、従来の保安指標では捉えにくい問題が含まれます。そのため近年の先進企業は、ホットライン、外部専門家、購買教育、方針開示、サプライヤー確認を束ねた複層的な管理へ移っています。
注意点・展望
よくある誤解は、人権対応を「調達アンケートの配布」で終えることです。金融では投融資先や商品設計を見なければ実態に届きません。化学では一次取引先だけでなく、原料の上流や地域社会への影響まで視野に入れる必要があります。もう一つの誤解は、人権を法務やサステナビリティ部門だけの仕事と考えることです。実際には、審査、購買、営業、製造、人事、広報まで巻き込む横断運営が前提です。
今後は、日本政府の改定行動計画を背景に、開示の質と実効性が一段と問われそうです。方針の有無より、どの人権課題を重要と判断し、どこに影響力を使い、問題発見後にどう是正したかが比較される局面に入ります。特に金融は「間接性」、化学は「多層性」が強いため、業界特性に合わせた設計が欠かせません。
まとめ
金融と化学は、ともに「ビジネスと人権」の重点業種ですが、実務の置き方は異なります。金融は投融資や商品を通じた影響力の行使が中心で、審査、対話、救済が重要です。化学は原料調達と操業現場の双方にリスクがあり、購買管理、安全、地域対応、第三者視点の組み込みが欠かせません。
公開情報を追うと、先進企業はすでに方針公表の段階を超えています。重要なのは、人権を理念ではなく業務プロセスへ埋め込めているかどうかです。自社の業界で負の影響がどこから生まれるかを特定し、審査、購買、救済、開示までつなげて見ることが出発点になります。
参考資料:
- 「ビジネスと人権」に関する行動計画の改定|外務省
- 日本政府は「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を策定しました|経済産業省
- 「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料」を公表しました|経済産業省
- Introduction to the Guiding Principles on Business and Human Rights|OHCHR
- OECD Due Diligence Guidance for Responsible Business Conduct|OECD
- Due Diligence for Responsible Corporate Lending and Securities Underwriting|OECD
- Human Rights Toolkit for Financial Institutions|UNEP FI
- The Equator Principles|Equator Principles
- 人権デューデリジェンス|みずほフィナンシャルグループ
- 人権の尊重|三菱UFJフィナンシャル・グループ
- 人権|三菱ケミカルグループ
- Human Rights|BASF
- レスポンシブル・ケア検証|日本化学工業協会
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