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企業が知るべき「ビジネスと人権」の全体像と実務対応

by 田中 健司
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はじめに

「ビジネスと人権」という言葉を耳にする機会が急速に増えています。企業活動がグローバル化するなか、サプライチェーン全体での人権尊重が経営上の重要課題として浮上しています。

2026年度からは日本政府の行動計画改定版が始動し、EUでは人権デューデリジェンスの法的義務化が迫っています。もはや「人権は企業活動と関係ない」とは言えない時代です。

本記事では、そもそも「ビジネスと人権」とは何かという基本から、国連の指導原則、日本政府のガイドライン、そしてEUの最新規制動向まで、企業が押さえるべきポイントを体系的に解説します。

「ビジネスと人権」の基本的な考え方

国連指導原則(UNGPs)の三つの柱

「ビジネスと人権」の国際的な基盤となっているのが、2011年に国連人権理事会で全会一致により承認された「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGPs)」です。この指導原則は31の原則で構成され、以下の三つの柱を中心に据えています。

第一の柱は「保護(Protect)」です。これは国家の義務であり、政策や規制、司法的裁定を通じて、企業を含む第三者による人権侵害から人々を保護する責任を指します。

第二の柱は「尊重(Respect)」です。企業には他者の権利を侵害しないよう行動する責任があります。具体的には、人権デューデリジェンスを実施し、自社の事業活動が人権に与える負の影響を特定・防止・軽減することが求められます。

第三の柱は「救済(Remedy)」です。人権侵害が発生した場合に、被害者が司法的・非司法的な救済手段にアクセスできるようにする必要があります。

企業にとっての「人権」とは何か

企業活動における「人権」は非常に幅広い概念です。労働者の安全衛生、強制労働・児童労働の禁止、適正な賃金の支払い、結社の自由、差別の禁止といった労働関連の権利に加え、地域住民の生活環境への配慮やプライバシー保護なども含まれます。

重要なのは、自社の従業員だけでなく、サプライチェーン上の取引先や下請け企業、さらには地域社会を含むすべてのステークホルダーの人権を対象としている点です。自社が直接的に関与していなくても、取引関係を通じて人権侵害に「助長」や「結びつき」がある場合、企業としての対応が求められます。

日本政府のガイドラインと行動計画

NAPの策定と改定

日本政府は2020年10月に「ビジネスと人権」に関する行動計画(NAP:National Action Plan)を策定しました。この計画は2020年から2025年を対象期間とし、国連指導原則に基づいた政府としての取り組み方針を示すものです。

2025年12月には、2026年度から開始する行動計画の改定版が公表されました。改定版では、サプライチェーンにおける人権リスクへの対応が優先分野に位置づけられ、企業による実践的な取り組みの高度化が求められています。特に、日本企業の大半を占める中小企業への理解促進も重要な課題として挙げられています。

責任あるサプライチェーンのためのガイドライン

2022年9月には、関係府省庁連絡会議により「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が策定されました。このガイドラインは、企業が人権デューデリジェンスを実施するための具体的な手順を示しています。

さらに2023年4月には経済産業省が「実務参照資料」を公表し、企業が人権尊重の取り組みを進める際の実務的な指針を提供しています。加えて、公共調達における人権配慮に関する政府方針も決定されるなど、制度的な枠組みが着実に整備されています。

日本企業の対応状況と課題

経済産業省と外務省が実施した調査によると、日本企業の人権に関する取り組みにはまだ改善の余地があります。特に、取り組みが進んでいない企業の半数が「具体的な取り組み方法が分からない」と回答しており、実務面での支援の必要性が明らかになっています。

企業規模別に見ると、大企業では人権方針の策定や人権デューデリジェンスの実施が進みつつありますが、中小企業ではリソースや知識の不足から対応が遅れている傾向があります。

EU規制の動向と日本企業への影響

CSDDDの概要

EUでは2024年7月にコーポレート・サステナビリティ・デューデリジェンス指令(CSDDD)が施行されました。この指令は、一定規模以上の企業に対して、自社およびサプライチェーン全体における人権・環境のデューデリジェンスの実施を法的に義務づけるものです。

適用対象は、従業員1,000人超かつ全世界の純売上高が4億5,000万ユーロを超えるEU企業です。注目すべきは、EU域外の企業であっても、EU域内で4億5,000万ユーロ以上の純売上を計上した場合には適用対象となる点です。

日本企業への具体的な影響

日本企業にとって、CSDDDは「他国の規制」として無視できるものではありません。EU域内で一定規模以上の売上がある日本企業は直接的に適用を受けます。また、EU企業のサプライチェーンに組み込まれている日本企業は、取引先からデューデリジェンスへの協力を求められる可能性が高まります。

在欧州の日系企業からは「デューデリジェンスが欧州でビジネスを行うための一種のライセンスになりつつある」との声も上がっています。人権尊重のルールに従わなければ、ビジネスそのものが成り立たなくなる時代が到来しています。

適用開始時期は、オムニバス法案により当初の2027年7月から2028年7月へと1年延期される見込みですが、企業にとっては早期の準備着手が不可欠です。

注意点・展望

よくある誤解と注意すべきポイント

「ビジネスと人権」への対応において、いくつかの誤解が見られます。まず、「自社が直接関与していなければ責任はない」という認識は誤りです。サプライチェーン上の取引先における人権侵害であっても、取引関係を通じた「助長」や「直接的な結びつき」があれば、企業としての対応が必要です。

また、「形式的な方針策定だけで十分」という考えも危険です。人権デューデリジェンスは継続的なプロセスであり、リスクの特定、予防・軽減策の実施、モニタリング、情報開示という一連のサイクルを回し続ける必要があります。

今後の見通し

国際的な規制強化の流れは今後も続く見通しです。EU以外にも、ドイツ、フランス、ノルウェーなどの国々が独自の人権デューデリジェンス法を施行しており、米国でも強制労働に関する輸入規制が厳格化されています。

日本においても、2026年度からの新行動計画の下で、将来的な法制化の議論が進む可能性があります。自主的な取り組みから法的義務へという世界的なトレンドを踏まえ、今のうちから体制を整えておくことが重要です。

まとめ

「ビジネスと人権」は、もはやCSR部門だけの課題ではなく、経営戦略そのものに関わるテーマです。国連指導原則の三つの柱(保護・尊重・救済)を基盤とし、日本政府のガイドラインやEUのCSDDDといった具体的な制度が次々と整備されています。

企業がまず取り組むべきは、自社の人権方針を策定し、サプライチェーン全体のリスクマッピングを実施することです。経済産業省の実務参照資料やジェトロの情報提供なども活用しながら、段階的に体制を構築していくことが求められます。

グローバルなビジネス環境で競争力を維持するためにも、人権尊重への取り組みを「コスト」ではなく「投資」として捉え、早期に行動を開始することが重要です。

参考資料:

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