偽装シャインマスカット香港摘発が示す品種防衛の課題
はじめに
2025年10月、香港で衝撃的なニュースが報じられました。中国産とみられるシャインマスカットを、岡山県の高級ブランド「晴王」と偽って販売していた業者が、香港税関によって摘発されたのです。
シャインマスカットは日本が33年の歳月をかけて開発した世界的に人気の高いブドウ品種です。しかし、海外での品種登録を怠ったことで、中国や韓国で無断栽培が拡大し、農林水産省の試算では年間100億円以上の損失が発生しています。
この記事では、香港での偽装摘発事件の詳細から、品種流出の構造的な問題、そして日本が模索する「攻めの品種防衛」戦略までを解説します。
香港での偽装摘発事件の全容
岡山ブランド「晴王」の模倣品が横行
事件の発端は、全農おかやまが輸入品を扱う仲卸業者から受けた情報提供です。「香港の市場で、日本産と偽った晴王の模倣品が出回っている」との通報を受け、調査が開始されました。
香港税関が捜査に乗り出した結果、中国産のシャインマスカットに岡山産「晴王」のラベルを貼り付けて販売していた業者が特定されました。この事件では単なる商標侵害ではなく、より罪の重い「産地偽装」として立件された点が注目されます。
有罪判決と罰金の行方
2025年10月、香港の裁判所は偽装販売業者に有罪判決を下しました。科された罰金は3万6,000香港ドル(日本円で約70万円)です。海外での産地偽装に対して有罪判決が出たことは、日本の農産物ブランド保護において重要な先例となりました。
偽装品は本物の「晴王」と比較すると、粒数こそ多いものの糖度が低く、品質面で明らかに劣っていたと報告されています。しかし、外見だけでは見分けがつきにくいため、消費者が騙される事態が続いていました。
シャインマスカット流出の構造的問題
33年の開発と6年の失策
シャインマスカットは、茨城県つくば市にある農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)が開発した品種です。1973年の研究開始から2006年の品種登録まで、実に33年もの歳月が費やされました。
大粒で種がなく、皮ごと食べられる画期的な食感と、マスカット特有の芳醇な香りが特徴です。国内では1房1万円を超える高級品として流通しています。
ところが、国際条約(UPOV条約1991年改正版)では、ブドウの新品種は国内登録から6年以内に海外出願する必要があります。日本はこの期限を過ぎてしまったため、中国や韓国でシャインマスカットの栽培を止めたり、ロイヤルティの支払いを求めたりする法的根拠を失いました。
中国で日本の30倍の栽培面積に
農林水産省の調査によると、2020年時点で中国におけるシャインマスカットの栽培面積は約5万3,000ヘクタールに達しています。これは日本国内の栽培面積の約30倍という驚異的な規模です。
中国では「陽光バラ」「香印翡翠」などの名称で販売されており、1キロあたり400〜600円程度と、日本産の数十分の一の価格で取引されています。この大量の安価な中国産シャインマスカットが、香港やタイ、シンガポールなどのアジア市場に流入し、日本からの正規輸出品と競合する事態を招いています。
年間100億円超の損失
農林水産省は、シャインマスカットの海外無断栽培によって、品種育成者が本来得られるはずだった許諾料(ロイヤルティ)として、少なくとも年間100億円の損失が発生していると試算しています。
この損失はシャインマスカットだけにとどまりません。イチゴの「紅ほっぺ」が中国で栽培されている事例や、「章姫」「レッドパール」が韓国に流出して交配に使用された事例も報告されています。イチゴ業界だけでも5年間で最大220億円の輸出機会を失ったとされ、日本の農業知財の保護は深刻な課題となっています。
日本が進める品種防衛の取り組み
改正種苗法の施行
2020年12月に成立した改正種苗法は、品種流出防止の柱となる法律です。2021年4月から段階的に施行され、主に以下の対策が講じられています。
第一に、登録品種の海外持ち出し制限です。育成者権者が種苗を持ち出し可能な国・地域を指定できるようになり、指定外の国への持ち出しは違法となりました。施行直後の2021年4月には、公的機関が開発した品種の約9割にあたる1,975品種が海外持ち出し禁止に指定されています。
第二に、自家増殖の許諾制です。農業者が登録品種を自家増殖する場合にも育成者権者の許諾が必要となり、種苗の流通経路をより厳格に管理できるようになりました。
DNA解析による品種鑑定
農研機構は、シャインマスカット固有のゲノム配列を利用したDNA解析技術を開発しています。市場に出回っているブドウのDNAを分析することで、それがシャインマスカットであるかどうかを科学的に判定できます。
この技術は偽装品の摘発に大きく貢献する可能性があります。今回の香港での事件でも、品種の真贋判定が重要な証拠となりました。
海外ライセンス供与という「攻め」の戦略
農林水産省は、品種流出への対策として新たに「海外ライセンス供与」という攻めの戦略を模索しています。2025年、農水省はシャインマスカットの栽培権をニュージーランドに供与する検討を開始しました。
この戦略の狙いは、正規のライセンス契約を通じて品質管理とロイヤルティ徴収の仕組みを構築することです。海外で無断栽培が広がる現状に対し、むしろ積極的にライセンスを管理することで、日本産ブランドの価値を守ろうという発想です。
しかし、この方針には国内産地から強い反発が出ています。山梨県の長崎幸太郎知事は小泉進次郎農水相に対し「到底容認できない」と緊急要請を行いました。山梨県は、植物検疫などの障壁により国内産シャインマスカットの輸出がまだ十分に進んでいない段階で海外にライセンスを供与すれば、国内産地が不利な競争を強いられると主張しています。
注意点・展望
「守り」と「攻め」の両立が不可欠
シャインマスカットの流出は、過去の失策として取り返しがつきません。しかし、今後の新品種については、開発段階から海外での品種登録を同時に進める体制整備が求められます。
改正種苗法は国内からの持ち出しを制限する「守り」の対策としては有効です。しかし、すでに海外で広がった栽培を止める効力はありません。今後は、海外ライセンスによる品質管理やロイヤルティ徴収といった「攻め」の戦略と組み合わせることが重要です。
国内産地と国の対話が鍵
海外ライセンス供与をめぐる山梨県と農水省の対立は、国内産地の輸出環境整備と、海外での品種管理という二つの課題を同時に解決する必要があることを示しています。国内農家の利益を守りながら、グローバル市場で日本品種の価値を最大化するバランスの取れた戦略が求められます。
まとめ
香港でのシャインマスカット偽装摘発は、日本の農業知財保護の現状を象徴する事件です。年間100億円超の損失を生む品種流出問題は、海外での品種登録を怠った過去の失策に端を発しています。
改正種苗法の施行やDNA解析技術の活用など、守りの対策は進んでいます。一方で、海外ライセンス供与という攻めの戦略については、国内産地との合意形成が課題です。日本の農業が持つ品種開発力を知的財産として最大限に活用するため、官民一体となった戦略的な取り組みが急務といえます。
参考資料:
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