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地政学リスク時代のCGコード改訂で問う供給網と取締役会の備え

by 田中 健司
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はじめに

2026年4月3日、金融庁の有識者会議ではコーポレートガバナンス・コードの改訂案が示されました。表向きの主題は成長投資の促進ですが、実務の視点で読むと、地政学リスクへの備えを取締役会の議題に引き上げる性格が強い内容です。イラン情勢や米中対立のような外部ショックは、もはや調達部門や海外事業部門だけの問題ではなく、資本配分と事業ポートフォリオの妥当性そのものを揺さぶります。

経済産業省の通商白書も、近年の地政学リスクやパンデミックが供給網の脆弱性を顕在化させ、特定国への非対称な依存が経済的威圧のリスクを生むと整理しています。この記事では、4月3日の改訂案を起点に、なぜ供給網途絶への備えが取締役会の責務として読み替えられるのかを整理し、企業が実際に何を点検すべきかを考えます。

改訂案が広げる取締役会の役割

4月3日改訂案の核心

今回の改訂案で最も重要なのは、取締役会の役割を「不祥事防止」から「成長シナリオの設計と検証」へ広げた点です。金融庁と東京証券取引所の説明資料では、取締役会の役割・責務として、会社の目指すところに向けた成長の道筋を構築し、その実現に向けて成長投資や事業ポートフォリオ見直しなどの経営資源配分について、具体的に何を実行するのか説明すべきだと示しました。加えて、その資源配分が経営戦略や経営計画に照らして適切か、不断に検証することも求めています。

改訂案本文でも、原則4-1の中で、取締役会は成長投資、無形資産投資、事業ポートフォリオ見直しを含む資源配分を説明し、資本コストや成長可能性を踏まえた戦略的判断を担うと整理されています。これは、単に「設備投資を増やすか減らすか」を決める話ではありません。どの国に生産を置くのか、どの部材を単一調達に頼るのか、在庫や代替設計にどこまでコストを振り向けるのかまで含めて、取締役会の説明責任が及ぶ構図です。

しかも、参考資料では改訂コードに関する事項を記載したコーポレートガバナンス報告書の提出時期を、遅くとも2027年7月までとする考え方が示されています。つまり企業には、次の中期計画や資本政策をつくる局面で、供給網の強靱性を経営戦略の外に置かないことが事実上求められています。

地政学リスクを直接書かずに責務が広がる理由

もっとも、改訂案の文言そのものに「地政学リスク」や「供給網途絶」という言葉が大きく書かれているわけではありません。ここは読み違えやすい点です。ただし、金融庁の説明資料は、企業が変化し続ける経営環境に対応しながら持続的に成長するには、適切な経営資源配分が必要だとしています。さらに改訂案本文は、外部環境の変化の下でも迅速で果断な意思決定を促し、取締役会は適切なリスクテイクを支える環境整備を担うと位置づけています。

このため、供給停止、輸出規制、制裁、海上物流の寸断、重要鉱物の調達難といった事象が成長シナリオを崩し得るなら、それは経営執行の現場論ではなく、取締役会が監督し説明すべき戦略論になります。ここは改訂案の明示ではなく、改訂案の原則と経済安全保障政策を接続した解釈です。しかし、改訂案が求める「経営資源配分の説明」と「不断の検証」を真正面から受け止める限り、この解釈は自然です。

2021年改訂のコードでも、JPXはサステナビリティへの取組や、プライム市場企業に対する気候関連リスクと収益機会の分析・開示の充実を打ち出しました。今回の改訂案は、その延長線上で、リスク開示をより広く経営資源配分と結びつける局面に入ったとみるべきです。気候変動だけでなく、地政学や経済安全保障も、企業価値に影響するなら取締役会の検討対象になるという流れです。

供給網途絶を経営課題に変える実務論点

政策環境と国際認識の変化

経済産業省の通商白書2025年版は、地政学的リスクや自然災害、パンデミックにより供給網の脆弱性が顕在化したとしたうえで、特定国への過度な依存は経済的威圧のリスクを伴うと明記しています。さらに、重要物資の調達では、価格だけでなく、調達先の多角化やサイバーセキュリティなどの非価格基準を政策に組み込む方向を示しました。つまり政府の政策文脈そのものが、最安値調達から安定供給重視へと軸足を移しています。

内閣府の経済安全保障推進法の説明でも、法律の中心にある制度の一つとして「重要物資の安定的な供給の確保」が挙げられています。これは政府支援の話に見えますが、企業側から見れば、重要物資の供給確保が民間企業の事業継続と切り離せない政策課題になったことを意味します。取締役会がこれを無視したまま資本政策や成長投資を語るのは難しくなっています。

国際的な危機認識も同じ方向です。世界経済フォーラムの2026年版グローバルリスク報告書では、2026年に重大な危機を引き起こしうる最大リスクとして「地経学的対立」を18%の回答者が選び、「国家間武力紛争」を14%が続きました。報告書は、制裁や規制だけでなく、サプライチェーンの武器化まで含めて懸念が広がっていると説明しています。地政学リスクは、企業にとって抽象的な外部要因ではなく、調達、物流、投資回収、資金移動に波及する経営変数です。

取締役会が見るべき備えの中身

では、取締役会は何を見ればよいのでしょうか。第一に必要なのは、利益計画と供給網依存のつながりの見える化です。経産省の通商白書2023年版によると、日系製造業の海外現地法人は世界で約1万1000社、そのうち約8500社がアジアに立地しています。アジア拠点の調達では日本からの供給シェアは2割程度まで低下してきた一方、生産に必須な基幹部品はなお日本側に依存し、東日本大震災では国内の部材停滞が海外生産にも波及しました。見かけ上は分散していても、重要部材や物流結節点で単一障害点が残る構図です。

第二に必要なのは、対策をコストではなく資本配分として扱うことです。代替調達先の開拓、在庫の積み増し、設計変更、サイバー対策、国内回帰や近接地生産の検討は、いずれも費用ではなく将来キャッシュフローの安定化投資と捉えるべきです。今回の改訂案が「何を実行するのか」の説明を求めている以上、取締役会は、平時の効率性を少し損ねても危機時の停止損失を小さくする投資の妥当性を判断しなければなりません。

第三に重要なのは、過剰反応を避けることです。OECDの2025年報告書は、供給網の強靱性はリスクを消すことではなく管理することだとし、俊敏性、適応力、利害の整合が重要だと整理しています。同時に、供給網の全面的な国内回帰は世界貿易を18%超押し下げ、世界GDPを5%超減らし得る一方、必ずしも強靱性を高めないと試算しました。取締役会がやるべきなのは、感情的な撤退ではなく、どこを分散し、どこは残し、どこに冗長性を持たせるかの選別です。

注意点・展望

実務上の注意点は二つあります。第一に、今回の議論をESG開示の延長だけで理解しないことです。実際には、設備投資、研究開発、人的資本、M&A、在庫政策、サプライヤー選定、物流契約まで含む資本配分の問題です。第二に、分散化を全面撤退と取り違えないことです。経産省もOECDも、重要なのは過度な依存を減らし、危機時の代替経路を持つことだと示しています。

今後は、改訂コードの最終化に向けて、企業の説明責任はさらに具体化していく可能性があります。投資家との対話では、どの地域や部材に集中リスクがあるのか、代替調達や在庫戦略をどう位置づけるのか、危機時に誰がどこまで判断するのかが問われやすくなるはずです。2027年7月を見据えれば、供給網リスクを取締役会資料の末尾に置く時代は終わりつつあります。

まとめ

4月3日のコーポレートガバナンス・コード改訂案は、地政学リスクを正面から列挙した文書ではありません。しかし、取締役会に対して成長の道筋の構築、経営資源配分の説明、戦略との整合性の不断の検証を求めた以上、供給網途絶への備えは明確にガバナンスの内側へ入りました。これは、経済安全保障政策と企業統治が分かれていた時代から、両者が接続される時代への移行を意味します。

企業に必要なのは、危機が起きた後の現場対応マニュアルだけではありません。どの依存が企業価値を傷つけるのかを取締役会が把握し、成長投資と同じ言葉で説明できる状態をつくることです。CGコード改訂の本当のインパクトは、その備えを「善意の努力目標」ではなく、説明責任を伴う経営判断へ変える点にあります。

参考資料:

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