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多角化が生む「ゾンビ事業」と企業価値への影響

by 田中 健司
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はじめに

日本企業の多くが「選択と集中」の必要性を認識しながらも、不採算事業の撤退に踏み切れない現実があります。こうした収益を生まないまま温存される事業は「ゾンビ事業」とも呼ばれ、企業全体の市場評価を大きく毀損する要因となっています。

慶應義塾大学商学部の牛島辰男教授は、多角化企業を長年研究し、日本企業における「コングロマリット・ディスカウント」の実態を明らかにしてきました。同教授の研究によれば、事業の見極めができない企業は投資家から低く評価され、企業価値が約10%も目減りすることがあるといいます。

本記事では、なぜ日本企業がゾンビ事業を抱え続けるのか、その構造的な問題と具体的な処方箋を解説します。

コングロマリット・ディスカウントとは何か

多角化が企業価値を下げるメカニズム

コングロマリット・ディスカウントとは、複数の事業を展開する企業の市場評価が、各事業を個別に評価した合計額よりも低くなる現象です。つまり「全体は部分の総和より小さい」という状態が生まれます。

この現象が起こる主な理由は3つあります。第一に、事業が多岐にわたることで投資家にとって企業全体の評価が困難になることです。単一事業の企業と比較して、複合企業の株価算定は複雑であり、評価の不確実性がディスカウントにつながります。

第二に、内部資本市場の非効率性があります。多角化企業では、本来は縮小すべき事業に他事業の利益が流用される「内部補助」が発生しやすくなります。収益性の高い事業が稼いだキャッシュが、不採算事業の延命に使われてしまうのです。

第三に、経営資源の分散です。限られた経営陣の注意力や人材が多数の事業に薄く配分されることで、各事業の競争力が低下する可能性があります。

日本企業における実態

牛島教授は2025年に「日本のコングロマリット・ディスカウント:25年間の軌跡」と題した論文を証券アナリストジャーナルに発表し、日本企業の多角化ディスカウントを長期的に分析しました。研究によれば、日本の多角化企業は専業企業に比べて平均6〜8%程度、企業価値が低く評価されています。

さらに、不採算事業の整理に着手できない企業では、このディスカウント幅が10%以上に達するケースもあります。経済産業研究所(RIETI)の研究でも、多角化と組織構造の両面で日本企業に非効率性が存在することが指摘されています。

なぜ日本企業はゾンビ事業を手放せないのか

「撤退」を阻む組織文化

日本企業が不採算事業から撤退できない最大の要因は、組織文化にあります。多くの日本企業は従業員を「人財」として重視しており、事業撤退に伴う人員整理を極力回避しようとします。この姿勢自体は評価できますが、結果として「誰も傷つかない」選択が優先され、企業全体の競争力が損なわれる事態を招いています。

また、事業部門の責任者にとって、自らが関わった事業の撤退を提案することは「敗北宣言」に等しく、キャリア上のリスクとなります。このため、現場からは撤退の声が上がりにくく、経営判断が先送りされがちです。

欧米企業との決定的な違い

欧米企業では、戦略的なフォーカスから外れた事業は、たとえ黒字であっても「価値が高いうちに売る」という判断が一般的です。売却で得た資金を成長事業に再投資することで、企業価値の最大化を図ります。

一方、日本企業では「ダメになってから売る」傾向が強いと指摘されています。事業価値が十分に毀損した後に売却するため、得られる対価は低く、再投資の原資も限られてしまいます。大和総研の調査でも、日本企業は事業ポートフォリオの撤退基準を設けていながら、それを厳守できていない企業が多いことが報告されています。

株式持ち合いとガバナンスの課題

かつて日本企業間で広く行われていた株式持ち合いも、経営に対する外部からの規律を弱める要因でした。安定株主の存在は「物言わぬ株主」を生み、不採算事業の温存を許容する土壌となってきました。近年は持ち合い解消が進んでいますが、ガバナンス改革の成果が事業ポートフォリオの見直しにまで十分に波及しているとは言い難い状況です。

事業ポートフォリオ見直しの成功事例

日立製作所の大胆な事業再編

日本企業の中で、事業ポートフォリオの見直しに最も積極的に取り組んだ代表例が日立製作所です。2009年3月期に国内製造業として当時過去最大の赤字を計上した日立は、危機を契機に大胆な事業の入れ替えを実行しました。

「御三家」と呼ばれた日立化成や日立金属といった上場子会社を含め、自社のコアである社会インフラ事業やIoT基盤「Lumada」との親和性が低い事業を次々と売却・連結解除しました。この結果、日立は「選択と集中」の成功モデルとして高く評価されるようになりました。

東芝の会社分割と教訓

東芝もコングロマリット・ディスカウントの解消を目指し、会社を主要事業ごとに分割する方針を打ち出しました。各事業の独立性を高めることで、投資家による正確な事業評価を可能にし、企業価値の向上を図る狙いがありました。

しかし、分割計画は紆余曲折を経ており、事業再編の実行には株主や従業員など多くのステークホルダーとの調整が不可欠であるという教訓を残しています。

セブン&アイへのアクティビスト提案

セブン&アイ・ホールディングスに対しては、米バリューアクト・キャピタルがコングロマリット・ディスカウントの発生を指摘し、各事業の独立によるCD解消を主張しました。コンビニ事業とそれ以外の事業を分離することで、市場評価の適正化を求めたものです。このケースは、外部からの圧力が事業ポートフォリオ見直しの契機となりうることを示しています。

注意点・展望

経済産業省のガイドラインと制度整備

経済産業省は2020年に「事業再編実務指針」を策定し、スピンオフを含む事業再編を後押ししています。また、パーシャルスピンオフに関する税制措置の整備も進められており、制度面でのハードルは徐々に下がっています。

注目すべきは、米国では2010年から2018年の間にスピンオフが273件実施されたのに対し、日本では実績がほぼゼロだったという点です。制度が整いつつある今、日本企業がこの手法をどこまで活用できるかが問われています。

金利上昇がもたらす変化

日本銀行は2024年3月以降、金融引き締めに転じ、2025年1月には政策金利を0.5%程度まで引き上げました。長年の超低金利環境が不採算事業の延命を可能にしてきた側面があり、金利上昇は企業に対して事業ポートフォリオの見直しを迫る圧力となります。

ただし、急激な事業整理は雇用や取引先に大きな影響を与えるため、段階的かつ戦略的なアプローチが求められます。「捨てる経営」の判断は、単なるコスト削減ではなく、企業の将来ビジョンに基づいた前向きな意思決定であるべきです。

まとめ

多角化が生む「ゾンビ事業」は、日本企業の企業価値を大きく毀損する要因です。コングロマリット・ディスカウントとして平均6〜8%、不採算事業を放置すれば10%以上の企業価値低下を招く可能性があります。

日立製作所のように大胆な事業再編に成功した企業がある一方で、多くの日本企業は依然として撤退の判断を先送りしています。経済産業省のガイドライン整備や金利上昇という外部環境の変化は、企業に事業ポートフォリオ見直しを迫る追い風となっています。

重要なのは、事業撤退を「失敗の後始末」ではなく「成長への投資判断」と捉え直すことです。投資家との建設的な対話を通じて、自社の事業ポートフォリオを定期的に検証し、コア事業への集中を戦略的に進めることが、企業価値向上への確実な一歩となるでしょう。

参考資料:

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