「内部留保課税」は悪か 654兆円を成長と分配へ動かす制度設計
過去最高の内部留保が映す分配停滞
財務省の2025年度法人企業統計によると、金融・保険業を除く企業の利益剰余金は654兆8228億円に達し、14年連続で過去最高を更新しました。企業の財務体質が強くなった証しである一方、家計の購買力や国内投資への還元が十分かという疑問も強まります。
ただし、内部留保は金庫に眠る現金ではありません。一律に課税すれば賃金や投資が増えるとも限らず、企業規模によって必要な備えも異なります。問うべきは課税の善悪ではなく、成長に使われない余剰資本をどう見極め、持続的な賃上げと投資へ動かすかです。
654兆円の中身と企業財務の構造変化
利益剰余金と現預金の決定的相違
利益剰余金は、企業が稼いだ税引き後利益から配当などを差し引き、過去から積み上げてきた会計上の残高です。貸借対照表では純資産の一部に計上されますが、その資金は現預金だけでなく、工場、ソフトウェア、在庫、子会社株式、研究設備などへ姿を変えています。
したがって、654兆円をそのまま「使われずに眠る資金」とみなすのは正確ではありません。財務省の財務指標解説も、利益剰余金が現預金や有形・無形固定資産などに再投資されていると説明しています。
一方、資金の使途を問う必要がないわけでもありません。2025年度の法人企業統計では、利益剰余金が前年度比2.7%増えたのに対し、現金・預金は314兆9861億円と4.6%増加しました。経常利益は124兆8313億円、設備投資はソフトウェアを含め57兆8999億円で、それぞれ8.8%、4.3%増えています。
利益、投資、手元資金のいずれも増加しており、「企業が全く投資していない」とは言えません。それでも経常利益の規模に比べて設備投資が小さく、利益剰余金と現預金が同時に積み上がる構図は、国内に十分な投資機会を見いだせていない可能性を示します。
財務防衛から資本余剰への転換点
内部留保の蓄積には合理的な歴史があります。バブル崩壊後の企業は過剰債務を圧縮し、金融危機や東日本大震災、コロナ禍といったショックに備えて自己資本を厚くしてきました。銀行借り入れへの依存を減らし、資金繰りの耐久力を高めたこと自体は、経営上の成果です。
内閣府の年次経済財政報告によると、1993年度から2023年度までの総資本の増加率は72%で、利益剰余金だけで36ポイント分を占めました。資産側では投資有価証券が28ポイント、現預金が12ポイント寄与した一方、土地を除く有形固定資産の寄与は2ポイントにとどまります。利益の蓄積が国内の生産設備より、有価証券や流動性確保へ向かった姿が浮かびます。
中小企業については見方を変える必要があります。売上規模が小さく資金調達手段も限られる企業にとって、利益剰余金は不況時の給与や仕入れ代金を支える安全網です。大企業の余剰資本と、数カ月分の運転資金しか持たない小規模事業者を同じ基準で課税すれば、経営の安定を損ないます。
分配面では改善の兆しと課題が同居しています。厚生労働省の2025年毎月勤労統計では名目賃金が2.3%増えたものの、持ち家の帰属家賃を除く消費者物価で測った実質賃金は1.3%減少しました。連合の2026年春闘最終集計では定期昇給込みの賃上げ率が5.01%、300人未満の組合でも4.69%となりましたが、物価を上回る継続的なベースアップとして定着するかが焦点です。
一律課税が抱える三つの欠陥と政策的意義
二重課税と資産評価をめぐる三つの壁
内部留保への一律課税には、少なくとも三つの欠陥があります。第一は、法人税を支払った後の利益に再び税を課すため、経済的な二重課税だとの批判を招くことです。政府も国会答弁でこの問題を挙げ、慎重な検討が必要との立場を示してきました。
第二は、納税資金と課税対象のずれです。過去の利益剰余金が工場や特許、長期保有株式に変わっていれば、課税される企業は現金を捻出するために借り入れや資産売却を迫られます。成長投資をした企業ほど納税に苦しむ制度になれば、政策目的と結果が逆転します。
第三は、課税を避ける行動が賃上げに直結しない点です。利益剰余金の増加を抑えるだけなら、企業は配当を増やせます。手元資金を基準にすれば、自社株買いや海外企業の買収でも残高を減らせます。従業員への恒久的な賃上げより、株主還元や一時的な支出が選ばれる余地があります。
課税対象を資本金で区切れば、減資や会社分割による対象外化を誘発します。現預金比率で区切れば、決算日前後の借り入れやグループ会社間取引で数字を調整されるおそれがあります。制度を複雑にするほど税務コストが増え、本来の経営判断までゆがめかねません。
既存制度から導く限定課税の条件
日本には、すでに特定同族会社を対象とする留保金課税があります。国税庁の2026年用申告書では、留保控除額を超える課税留保金額に対し、年3000万円相当額以下は10%、3000万円超1億円以下は15%、1億円超は20%の税率を適用します。
これは支配株主が配当を抑え、個人段階の所得課税を先送りすることへの対策です。多数の株主を持つ上場会社の資本配分を正す制度とは目的が異なりますが、必要な運転資金を控除し、当期の過大な留保だけを対象にする考え方は参考になります。
内部留保課税は、それ自体が「悪」なのではありません。市場競争や企業統治が十分に機能せず、投資機会もないのに経営者が過剰な資金を抱え続ける場合、限定的な課税は資本配分を見直させる手段になり得ます。ただし、利益剰余金の総額へ機械的に税率を掛ける方式は避けるべきです。
検討に値するのは、大企業グループの新たな「過剰純現金」に対象を絞る方式です。現預金と短期金融資産から有利子負債を差し引き、売上高や固定費に対する比率を複数年平均で判定します。既存の利益剰余金へ遡及せず、合理的な必要額を超えて新たに積み上げた部分だけを対象とします。
そのうえで、継続的な基本給の引き上げ、国内設備投資、研究開発、従業員教育、知的財産への投資を課税額から控除します。取引先の労務費や原材料費の適切な価格転嫁を受け入れた支出も評価すれば、大企業の賃上げだけでなく、サプライチェーン全体へ分配を広げられます。
銀行や保険会社に必要な規制資本、災害対応資金、年金債務、確定した大型投資計画などは除外すべきです。中小企業、創業期の企業、事業再生中の企業も原則として対象外とし、適用する場合は厳格な資金余剰の立証が欠かせません。
もっとも、課税は最後の手段です。2026年改訂コーポレートガバナンス・コードは、成長への道筋、設備・研究開発・人的資本への投資、事業ポートフォリオの見直しについて、具体的な実行内容と検証を求めました。合理性を説明できる現預金保有まで否定していない点が重要です。
まず取締役会に資本配分の説明責任を負わせ、投資家と従業員が検証できる情報を整える必要があります。開示と対話を尽くしても過剰資本が固定化する企業に限り、時限的な追加課税を発動する順序が妥当です。
分配強化が自己株買い偏重を招く政策リスク
制度設計を誤ると、賃上げより配当、自社株買い、節税目的の買収が優先されます。課税直前だけ賞与を増やしたり、正社員を外注へ切り替えたりする企業も現れ得ます。国内投資額だけを条件にすれば、採算性の低い設備を購入する「投資の水増し」も起こります。
特に警戒すべきは、発注企業が税負担を取引先へ転嫁する事態です。公正取引委員会の2025年度調査では、労務費の価格転嫁に関する要請受諾率は67.4%まで上昇しました。しかし、全ての受注者と定期協議の場を設けた発注者は27.1%にとどまり、取引段階を遡るほど転嫁率が下がる傾向も残ります。
課税制度には、従業員一人当たりの継続給与、国内投資の収益性、研究人材の増加、取引先への価格転嫁実績を組み合わせた評価が必要です。単年度の支出額ではなく、三年程度の成果を検証し、形式的な条件達成を防ぐ仕組みが求められます。
2026年度税制改正では、大企業向け賃上げ促進税制が終了する一方、国内設備投資と研究開発への支援が強化されました。新たな内部留保課税を加えるなら、既存の税額控除と整理し、施策を重ね過ぎないことも重要です。三年程度の時限措置として導入し、賃金、投資、生産性、企業移転への影響を第三者が検証する設計が欠かせません。
成長と分配を両立する四段階の企業統治
必要なのは、内部留保の総額を減らす政策ではなく、資本の使途を改善する政策です。第一に利益剰余金と純現金を区別し、第二に取締役会へ必要資金と成長投資の説明を求めます。第三に価格転嫁と恒久賃上げを促し、それでも過剰資本が積み上がる大企業だけを限定課税の対象とします。
投資家や従業員も、654兆円という総額だけで企業を評価すべきではありません。現預金の必要水準、資本コストを上回る投資計画、基本給の伸び、取引先への分配を確認することが重要です。一律課税は副作用が大きい一方、説明なき資金滞留の放置も成長を阻みます。課税の是非を企業統治と資本配分の改革へつなげる議論が求められます。
参考資料:
- 令和7年度年次別法人企業統計調査
- 財務省・法人企業統計から見る日本企業の特徴
- 令和7年度年次経済財政報告・我が国の企業行動における長期的な変化と課題
- 内閣府・2025年度日本経済レポート「企業活動の活性化に向けて」
- 厚生労働省・毎月勤労統計調査2025年分結果速報
- 連合・2026春季生活闘争第7回回答集計
- 公正取引委員会・令和7年度価格転嫁円滑化特別調査
- 衆議院・第208回国会財務金融委員会第5号
- 国税庁・特定同族会社の留保金額に対する税額計算明細書
- 金融庁・成長投資の促進に向けたコーポレートガバナンス・コード改訂
- 金融庁・コーポレートガバナンス・コードフォローアップ会議議事録
- 日本取引所グループ・資本コストや株価を意識した経営への対応
- 財務省・令和8年度税制改正について
- 経済産業省・令和8年度税制改正のポイント
- 財務省・グローバル・ミニマム課税の概要
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