東大赤字が問う国立大学法人経営危機と研究者削減回避の現実的道筋
東大赤字見通しが映す大学財務の転換点
東京大学が2026年度に2年連続の最終赤字となる見通しが浮上しました。焦点は、単年度の損益が赤か黒かだけではありません。物価高、人件費の上昇、実験機器や施設維持費の増加が、国立大学法人の財務モデルそのものを圧迫している点にあります。
東大は日本最大級の研究大学であり、外部資金や寄付、病院収益などの収入源も比較的厚い組織です。その東大でさえ繰越金の取り崩しが続くなら、問題は一大学の経営不振にとどまりません。国立大学が研究者を雇い、長期の基礎研究を支える仕組みが、インフレ局面に適応できているかが問われています。
この記事では、公開されている2024年度決算、文部科学省の運営費交付金資料、国立大学協会の主張、授業料改定の制度的制約を照合します。企業経営でいう資本配分とガバナンスの視点から、研究者削減を避けるために必要な条件を整理します。
黒字決算でも余力が細る会計構造
2024年度決算に残る構造的な負担
東京大学の2024年度決算は、表面上は大幅な黒字でした。決算概要によると、経常費用は2,901億円、経常収益は2,991億円で、経常利益は89億円です。当期総利益も88億円となり、前年度から79億円増えました。
ただし、この数字だけで財務が盤石と読むのは危険です。大学自身も、2024年度の損益改善には2023年度会計基準改訂の影響が大きく、財務状況の改善は依然として課題だと説明しています。国立大学法人会計では、損益計算書の黒字が、そのまま自由に使える現金余力を意味するわけではありません。
費用構造を見ると、圧力は明確です。2024年度の人件費は1,105億円で、前年度比34億円、約3.2%増えました。人事院勧告の影響や教職員数の増加が要因です。物件費は1,794億円で、前年度比192億円、約12%増えました。研究活動の拡大に伴う執行増もありますが、資材、機器、委託、エネルギー関連コストの上昇局面では、削りにくい費用が先に膨らみます。
収益側も伸びています。2024年度の経常収益の内訳は、国費が969億円、自己収入が860億円、外部資金が1,160億円です。外部資金は前年度比247億円、約27.1%増えました。受託研究や共同研究、寄付金が伸びること自体は前向きですが、研究プロジェクトを受けるほど、事務処理、設備維持、技術職員、共用スペースなどの基盤負担も増えます。
企業であれば、売上増とともに固定費が増えた場合、限界利益やキャッシュフローを確認します。大学も同じです。外部資金の総額が増えても、その資金の多くは使途と期間が決まっています。研究室の電気代、共通設備の更新、承継教職員の処遇、若手ポストの安定雇用といった基盤費用を十分に吸収できなければ、損益上の黒字と現場の資金不足が併存します。
繰越金と自由資金を分ける視点
今回の問題で注目される「貯金」は、一般企業の内部留保や個人の預金とは性格が異なります。東京大学の2024年度財務諸表では、利益剰余金は1,610億円、現金及び預金は1,167億円です。しかし、この全額が研究者の人件費や研究費に自由に振り向けられるわけではありません。
国立大学法人の貸借対照表には、寄附金債務、前受受託研究費、預り施設費、未払金など、使途や支払先が決まっている負債が並びます。2024年度末の寄附金債務は712億円、前受受託研究費は163億円、未払金は473億円です。つまり、手元資金の中には、将来の特定目的支出に対応する資金が多く含まれています。
国立大学法人会計では、運営費交付金も受領時点で直ちに収益になるのではなく、業務の実施に応じて収益化されます。寄付金も費用の進行に応じて収益化されるため、損益の読み方は企業会計と似ていても、資金の自由度は別に評価する必要があります。
このため、2年連続赤字の見通しは、単なる会計上の赤字ではなく、自由に使える繰越財源をどの速度で取り崩すかという経営問題です。研究者の削減が避けられないという見方が出るのは、人件費が最大級の固定費であり、施設や法定安全管理、病院機能、学生支援を一気に止めることが難しいためです。
ただし、人員削減を最初の選択肢にすれば、研究大学としての将来収益力も落ちます。研究者は費用であると同時に、論文、外部資金、知的財産、人材育成、産学連携を生む中核資産です。財務再建策の質は、短期の赤字幅を縮めるだけでなく、この中核資産をどれだけ毀損しないかで測る必要があります。
運営費交付金の目減りと外部資金依存
188億円増額でも残る実質不足
国立大学法人の基盤を支える中心財源は、文部科学省の運営費交付金です。2026年度予算案では、国立大学法人運営費交付金が前年度比188億円増の1兆971億円となりました。国立大学協会は、法人化以降で画期的な増額だと評価しています。2025年度補正予算でも、人件費に使える運営費交付金421億円を含む大学向け支援が盛り込まれました。
それでも東大の赤字見通しが消えないなら、増額幅と現場コストの伸びにずれがあるということです。文科省の検討会では、国立大学全体の経常収益・費用が法人化以降約1.5倍に増える一方、経常収益に占める運営費交付金収益の割合は2004年度の47%から2024年度の29%へ下がったと説明されています。
この変化は、大学が努力して外部資金や病院収益を増やしてきた結果でもあります。しかし、基盤財源の相対的な縮小は、長期雇用や基礎研究のように成果がすぐ金額化されない活動を不安定にします。国立大学協会は、運営費交付金が目減りすると研究力低下や若手研究者の減少につながるというロジックを示し、少なくとも6年間の安定した財務戦略が必要だと訴えています。
文科省も制度上の問題を認識しています。第5期中期目標期間に向けた検討会では、物価・人件費が上がらないことを前提とした経済構造から、インフレ基調へ変わったことを踏まえた支援の仕組みが論点に挙げられました。基幹経費を削って別枠に回すミッション実現加速化係数も、物価上昇の影響を踏まえて廃止されています。
東大の課題は、この全国的な制度変更の先取りです。大規模大学ほど研究設備、病院、国際拠点、共同利用施設を抱え、光熱費や保守費の絶対額が大きくなります。基盤財源が名目で少し増えても、物価と人件費の伸びを差し引いた実質額が足りなければ、繰越金の取り崩しは続きます。
外部資金が増えるほど膨らむ固定費
東大の2024年度決算で最も伸びた収益項目は外部資金です。受託研究等収益は980億円、寄附金収益は180億円に達しました。これは日本の大学の中でも高い資金獲得力を示しています。知的財産報告書や統合報告書を通じて、東大は産学協創や知財活用を経営資源として位置づけてきました。
しかし、外部資金依存には副作用があります。競争的資金や受託研究費は、採択されたテーマの人件費、設備、消耗品、旅費などに充てられます。研究期間が終われば資金も終わります。間接経費が十分でなければ、大学本部や部局は共通インフラの費用を別財源で負担します。
文科省の第5期運営費交付金検討会でも、外部資金だけが増えると、使途や年限が限定されるためリソースの持ち出しが増えるとの指摘がありました。これは、企業でいう「売上は増えるが、採算の悪い案件が増えて本社機能が疲弊する」状態に近いものです。
大学経営の難しさは、採算が悪いからといって基礎研究を単純にやめられない点にあります。ノーベル賞級の成果や社会基盤を支える研究は、数年単位の投資回収で測れません。だからこそ、競争的資金と基盤的経費のベストミックスが必要です。外部資金の増加を評価するだけでなく、それを受け止める共通部門の固定費を誰が負担するのかを明確にしなければなりません。
研究力指標も警告を発しています。科学技術・学術政策研究所の科学技術指標2025では、日本の論文数は分数カウント法で世界5位ですが、Top10%補正論文数は13位、Top1%補正論文数は12位です。量より質の面で存在感が弱まる中、研究者ポストや研究時間を減らす改革は、競争力の低下をさらに固定化しかねません。
東大が直面する赤字は、外部資金をもっと取れば解決するという単純な話ではありません。むしろ、外部資金を獲得できる大学ほど、基盤財源が不足した時の矛盾が大きくなります。研究プロジェクトを増やすほど、共通設備、事務、技術支援、人件費の持ち出しが増えるからです。
研究者削減を避ける財務統治の条件
研究者削減を避ける第一条件は、赤字の原因を一括りにしないことです。人件費増、物価高、施設老朽化、病院収益、外部資金の間接経費不足、授業料改定の効果は、それぞれ性格が違います。削るべき費用、国に求めるべき基盤財源、大学が自助努力で伸ばすべき収入を切り分ける必要があります。
授業料は一定の追加財源になり得ます。東京大学は2025年度以降入学の学部学生について、授業料を年額535,800円から642,960円へ改定しました。国立大学等の授業料は省令上、標準額の120%以内で定められる仕組みであり、東大の新授業料はその上限にあたります。
ただし、授業料引き上げは万能ではありません。高等教育の機会均等との緊張関係があり、学生支援の拡充も同時に必要です。さらに、既に上限まで引き上げた学部授業料は、制度改正なしには追加余地が限られます。学生負担を財務再建の中心に置けば、国立大学の公共性を損ないかねません。
第二条件は、外部資金の採算管理です。受託研究や共同研究を増やすだけでなく、間接経費率、設備更新費、研究支援人材の配置を含めた案件別の実質採算を可視化する必要があります。企業のコーポレートガバナンスでいえば、売上高ではなく資本効率と将来の競争力を同時に見る管理会計です。
第三条件は、寄付と資産運用の長期化です。東京大学基金の活動報告では、財源多様化とエンダウメント型への移行が議論されています。寄付や運用益は短期の赤字穴埋めではなく、若手研究者、共用設備、研究支援職のような長期資産に紐づけるほうが効果的です。
最後に不可欠なのは、国との予算契約の予見性です。大学は研究者を採用すれば、教育、研究、退職給付、研究環境まで長期で責任を負います。毎年の予算折衝だけで基盤財源が左右されると、人事計画は保守化します。文科省が検討する第5期中期目標期間の配分ルールでは、物価変動に対応し、6年間の見通しを持てる仕組みが鍵になります。
読者が注視すべき大学改革の争点
東大の赤字見通しは、大学が経営努力を怠ったという単純な物語ではありません。2024年度決算を見る限り、外部資金や病院収益は伸びています。それでも赤字見通しに傾くのは、基盤財源の実質目減りと、研究活動を支える固定費の増加が同時に進んでいるためです。
今後の焦点は三つです。第一に、2025年度決算と2026年度予算の承認過程で、赤字額と繰越金の残高がどこまで開示されるかです。第二に、文科省の運営費交付金見直しが、物価や人件費に連動する予見性を持てるかです。第三に、東大自身が研究者削減に頼らない財務統治を示せるかです。
読者が見るべきなのは、単年度赤字の大きさだけではありません。若手研究者のポスト、共用設備の更新、間接経費の設計、授業料と学生支援のバランスが、どのように配分されるかです。東大の選択は、国立大学全体の研究力再生に向けた試金石になります。
参考資料:
- 令和6年度財務情報 | 東京大学
- 令和6事業年度決算の概要について | 東京大学
- 令和6年度財務諸表 | 東京大学
- 令和6年度決算報告書 | 東京大学
- 令和6年度事業報告書 | 東京大学
- 統合報告書 | 東京大学
- 活動報告会2025 | 東京大学基金
- 入学料・授業料 | 東京大学
- 国立大学等の授業料その他の費用に関する省令 | e-Gov法令検索
- 松本洋平文部科学大臣記者会見録-予算- | 文部科学省
- 国立大学法人運営費交付金等についての文部科学省の基本的考え方 | 文部科学省
- 第5期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の在り方に関する検討会第1回議事録 | 文部科学省
- 第5期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の在り方に関する検討会第2回議事録 | 文部科学省
- 令和8年度国立大学法人運営費交付金予算について | 国立大学協会
- 科学技術指標2025・概要 | 科学技術・学術政策研究所
- 国立大学法人の財務等 | 大学改革支援・学位授与機構
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