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ファストリ人権DD厳格化で問う供給網監査と労働リスクの実効性

by 渡辺 由紀
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2029年適用を見据えた監査厳格化の必然性

ファーストリテイリングの供給網管理が、単なるCSR活動から経営管理の中核へ移っています。同社は2025年度に生産パートナー向けの新しい監査プログラムを導入し、国別・工場別のリスクや、工場側が示す情報の信頼性まで評価に組み込みました。背景にあるのは、欧州で人権デューデリジェンスを義務づける制度整備が進み、企業に「問題を知らなかった」では済まない説明責任が求められるようになったことです。

アパレル産業は、中国、ベトナム、バングラデシュ、インドネシア、インドなど複数国の工場に生産を委ねます。賃金、労働時間、移民労働者の採用、結社の自由、苦情処理の仕組みは国ごとに制度も慣行も異なります。だからこそ、監査は不正を探す一回限りの点検ではなく、働く人のリスクを継続的に減らす人事労務のインフラとして設計する必要があります。

本稿では、ファストリの新基準が何を変えるのか、EU規制が経営に何を迫るのか、そして購買部門や生産部門が労働環境改善にどこまで責任を負うべきかを読み解きます。

新監査基準が変える工場管理の実務

E評価とD評価の意味

ファストリが2025年度に導入した新監査プログラムは、工場をAからEまでの5段階で評価します。最も重いE評価は、重大な人権リスクやリスク管理体制の不備がある状態を示します。対象には児童労働、強制労働、ハラスメント、差別、結社の自由の重大な侵害、法定最低賃金の未払い、記録改ざんなどが含まれます。

注目すべきは、従来の「ゼロトレランス項目」だけでなく、連続勤務日数の過多や、工場から共有される情報の信頼性への懸念も重く評価する点です。これは、帳票上は問題がないように見えても、実態把握の前提が崩れていれば労働リスクを管理できないという考え方です。労務監査で最も難しいのは、違反の有無そのものより、違反を隠す仕組みや沈黙を強いる職場文化の存在です。

2025年度の新プログラムでは、縫製工場28件がE評価を受けました。同社資料によれば、2026年1月末時点で14工場は是正確認済み、11工場は是正と再発防止策の実施中、3工場は取引を終了しています。監査制度の厳格化によって、これまで軽微または管理可能と見なされていた課題が、取引継続を左右する経営判断に直結し始めたといえます。

D評価は、重大リスクに至る前の管理不全を示します。残業代の不適切な支払い、法定休暇の未付与、雇用契約の管理不足などが該当します。これらは一見すると事務処理上の不備にも見えますが、労働者にとっては収入、休息、雇用の安定を左右する基礎的な権利です。日本企業が海外工場を管理する際、こうした「人事労務の基礎業務」を品質管理や納期管理と同じ精度で見る必要があります。

抜き打ち監査と情報信頼性

ファストリは、Better Workの対象外となる工場には原則として年1回、第三者による抜き打ち監査を実施すると説明しています。監査では、労働者、労働組合、労働者代表、工場管理者への聞き取りに加え、雇用契約、給与明細、勤怠記録、タイムカード、安全衛生の現場確認などを行います。必要に応じて寮も確認し、労働者代表を監査の開始時と終了時に参加させます。

この設計は、紙の監査だけでは把握しにくい労働実態に近づくためのものです。違法就労、強制的な残業、賃金控除、採用時の手数料負担は、帳票上の記録だけでは見抜きにくい領域です。特に外国人や域内移民の労働者は、言語、在留資格、紹介業者との関係、家族への送金負担などから、苦情を申し立てにくい立場に置かれがちです。

監査の厳格化は、工場にとって負担増にもなります。複数ブランドから似た監査を受ければ、現場管理者は監査対応に追われ、本来の改善活動に時間を割きにくくなります。そのためファストリは、Better Workのような業界共通の枠組みも活用しています。Better WorkはILOとIFCの連携プログラムで、工場への評価、助言、研修を通じて労働条件と競争力の両立を目指します。監査を増やすだけでなく、改善の型を共有することが重要になります。

取引開始前からの選別管理

新規工場に対しては、取引開始前監査が行われます。2025年度には、候補となった新規生産パートナー76件のうち65件で生産を開始しました。この数字は、監査が形式的な通過儀礼ではなく、取引先選定の入口として機能していることを示します。初回監査で不合格となった後、フォローアップで是正を確認した工場も含まれており、排除だけでなく改善支援も組み込まれています。

同社は2004年に生産パートナー向けコードオブコンダクトを定め、2023年からはユニクロ向けの中核紡績工場にも適用範囲を広げました。2025年度には14カ国の縫製パートナー工場432件を対象に研修も実施しています。工場リストの開示範囲も拡大しており、2026年3月時点では継続取引を見込む全縫製工場、洗い・プリントなどの委託加工工場、中核生地工場、副資材工場を一体のリストとして公開しています。

この透明化は、投資家や消費者向けの情報開示であると同時に、工場側への規律付けでもあります。女性労働者比率や移民労働者比率、親会社情報まで公開されるため、労働リスクが高まりやすい工場を社外のステークホルダーも把握しやすくなります。人権DDは、社内だけで完結する点検から、社会に検証される管理へ移っているのです。

購買慣行と救済制度に及ぶ人権DDの射程

責任ある購買の人事労務効果

供給網の人権問題は、工場だけの責任ではありません。短納期、急な数量変更、過度な値下げ要請が続けば、工場は残業や非正規雇用、賃金抑制で帳尻を合わせようとします。ファストリが責任ある購買方針を掲げるのは、買い手側の発注行動が現場の労働時間と賃金に影響するからです。

同社の方針では、発注部門は工場の設備や生産能力を踏まえて発注を計画し、数量や納期は事前合意を前提にします。数量や納期を変える場合も、工場の同意が必要です。さらに、価格交渉では最低賃金を含む労務費や原材料費の上昇を考慮し、優越的地位の乱用を禁じています。これは日本国内の下請け取引にも通じる考え方ですが、国境を越えたアパレル供給網では一段と重要です。

労働時間の管理でも、購買慣行との連動が見られます。ファストリは生産部門とサステナビリティ部門の連携を強め、過度な労働時間を予測した工場から情報を受け、可能な場合には生産計画を調整するとしています。生産部門は対象工場の全従業員の週次労働時間データを毎月収集し、サステナビリティ部門が改善計画の実施状況を確認します。

この仕組みは、人権DDを「監査で見つけて叱る」制度から、「発注設計でリスクを減らす」制度へ進めるものです。労働時間違反は工場の管理不足だけでなく、ブランド側の販売計画、在庫方針、値引き戦略の影響を受けます。人材戦略の視点では、サプライヤーの従業員も広義の事業を支える働き手です。ブランドが持続的に供給能力を確保するには、工場で働く人の定着、技能形成、生活安定を犠牲にできません。

移民労働者と採用費返還

アパレル供給網で見落とせないのが、移民労働者の採用過程です。労働者が仲介業者に高額な手数料を支払って就労すると、借金返済のために退職しにくくなり、強制労働につながるリスクがあります。ファストリは、FLAと米国アパレル・フットウェア協会が定義する責任ある採用に沿って、外国人移民労働者の権利保護を強めています。

2025年度には、第三者監査で移民労働者が採用関連費用を負担していた事例を確認し、16人に対して約2万9350米ドルの返還を行ったと開示しています。さらに、2020年のコミットメント以降では、9700人を超える労働者に450万米ドル超を返還したとしています。この領域は、日本企業にとっても他人事ではありません。技能実習や特定技能をめぐる手数料問題と同じ構造が、海外の生産現場にも存在するためです。

採用費の返還は、単なる金銭補償ではありません。労働者が退職や転職の自由を持ち、苦情を申し立てられる状態を回復するための救済策です。人権DDで重要なのは、リスクを「発見した」と公表するだけでなく、被害を受けた労働者にどのような回復がなされたかを示すことです。

ホットラインが補う監査の死角

監査は年1回でも、労働問題は毎日発生します。そこで重要になるのが苦情処理メカニズムです。ファストリは、ベトナム、バングラデシュ、インドネシア、インド、日本、中国などの主要調達国で、工場従業員が匿名で相談できるホットラインを設けています。相談を受けた場合、原則24時間以内に連絡し、問題の背景を調査したうえで是正策を講じると説明しています。

2025年度にホットラインへ寄せられた苦情のうち、ILO中核条約、現地労働法、同社コードオブコンダクトへの違反と評価されたものは166件でした。賃金・福利厚生に関する苦情では、賃金計算や退職金の受け取り手続きへの理解不足が背景にあるケースもあり、工場により詳しい説明を求めたとしています。これは、違反の摘発だけではなく、制度を労働者が理解できるようにする教育の課題でもあります。

同社は2025年度にホットラインの標準運用手順を改定し、Better WorkとFLAのレビューを受けたと開示しています。苦情処理は、制度を作れば機能するわけではありません。労働者が報復を恐れず使えるか、言語面でアクセスできるか、訴えた後に何が起きるかを予測できるかが問われます。国連のビジネスと人権に関する指導原則が掲げる「正当性、アクセス可能性、予測可能性、透明性」などの基準に近づける運用が必要です。

女性労働者の昇進と生活支援

人権リスクは、重大違反を防ぐだけでは十分ではありません。働く人が技能を高め、昇進し、生活を安定させられるかも、供給網の持続性を左右します。ファストリはバングラデシュの8つのパートナー縫製工場で女性労働者の監督者育成に取り組み、2025年末までに4119人が研修を完了したとしています。参加工場では、監督者または管理職に占める女性の比率が平均34.7%となりました。

縫製業は女性労働者が多い一方、管理職や監督者に進む道が限られやすい産業です。育児、安全な通勤、心身の健康支援が弱ければ、技能ある労働者の定着も難しくなります。供給網の人権DDを雇用戦略として見るなら、違反の抑止と同じくらい、キャリア形成と職場環境の改善が重要です。価格だけで工場を選ぶ時代から、労働者の能力を高められる工場を選ぶ時代へ移りつつあります。

欧州規制が迫る社内統治と取引先再編

EUの企業持続可能性デューデリジェンス指令は、2024年7月25日に発効し、その後のオムニバス簡素化パッケージで適用時期や対象範囲が見直されました。欧州委員会の説明では、改正後のCSDDDは、加盟国が2028年7月26日までに国内法化し、2029年7月26日から適用する形です。対象は、EU企業では従業員5000人以上かつ世界売上高15億ユーロ以上、非EU企業ではEU域内売上高15億ユーロ以上とされています。

ファストリが最終的にどの範囲で対象となるかは、EU域内売上高やグループ構造の確認が必要です。ただし、同社の2025年度統合報告書では、ユニクロ海外事業の売上収益は1兆9102億円で、グループ売上の56.2%を占めます。欧州店舗数は2025年8月末時点で82店、欧州のEC比率も約20%とされています。欧州市場の拡大を進める以上、CSDDDの要求水準を先取りする合理性は高いといえます。

規制が企業に求めるのは、供給網の全てを同じ深さで監査することではありません。欧州委員会は、改正後の制度で、重大性と発生可能性が高い領域に重点を置けると説明しています。つまり、リスクベースで優先順位をつけ、苦情処理、監視、公開コミュニケーション、是正を組み合わせることが求められます。ファストリの新監査基準が、国別・工場別の指標や情報信頼性を組み込んだのは、この流れと整合します。

一方で、厳格化には取引先再編の痛みも伴います。E評価の工場と取引を終了すれば、ブランドはリスクを下げられますが、工場労働者が雇用を失う可能性もあります。ファストリは責任ある退出プロセスを設け、取引終了時には工場の経営や労働者への影響を評価し、段階的な縮小を検討するとしています。人権DDの成熟度は、問題工場を切る速さだけでなく、労働者への影響をどう緩和するかにも表れます。

開示資料から読み解く労働リスク管理の判断軸

読者が今後注視すべきなのは、監査件数や違反件数の多寡だけではありません。第一に、重大リスクが見つかった後、どの程度の期間で是正が確認されたかです。第二に、賃金、労働時間、採用費、苦情処理の課題が、購買部門や生産計画の変更に結びついているかです。第三に、工場リストやホットラインの情報が、労働者自身に届く言語と形で整備されているかです。

ファストリの新基準は、供給網の人権管理を「守りのコンプライアンス」から「働く人を基盤にした競争力」へ転換する試みです。欧州規制の適用は2029年ですが、実務の準備はすでに始まっています。投資家、取引先、消費者は、開示された数字の背後にある是正の質と、発注側の責任まで含めて評価する姿勢が必要です。

参考資料:

渡辺 由紀

雇用・人材戦略・キャリア

雇用・人材戦略・キャリアを専門に取材。高専人材の争奪戦から中途採用市場の変化まで、「働く」を取り巻く構造変化を解き明かす。

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