NewsHub.JP
NewsHub.JP

ファストリ人権監査強化、705工場に広がる違法就労リスクの管理

by 渡辺 由紀
URLをコピーしました

欧州規制が押し上げる人権監査の重要性

ファーストリテイリングの人権監査強化は、アパレル企業の社会貢献策というより、事業継続のための労務リスク管理です。同社は2025年度に新しい監査プログラムを導入し、取引先工場の統治体制や提出情報の信頼性まで評価対象に広げました。

背景にあるのは、EUで進む人権デューデリジェンスの義務化と、強制労働によって作られた製品の市場排除です。海外生産に依存する衣料品企業にとって、違法就労、採用仲介料、賃金未払い、過剰労働は、現場だけの問題ではありません。監査で見つけ、是正し、必要なら取引を見直す仕組みそのものが、ブランド価値と雇用の安定を左右します。

705工場リストが示す供給網の可視化

半年ごとに更新される生産パートナー情報

ファーストリテイリングは2026年3月時点の生産パートナーリストを公開しています。PDF上の通し番号で確認できる拠点数は705で、縫製工場だけでなく、洗い加工やプリントなどを担う加工工場、主要素材工場、副資材工場も含まれます。国別ではバングラデシュ、カンボジア、中国、インドネシア、ベトナムなど、アジアの主要な衣料品生産国が広く並びます。

リストの重要性は、単に工場名を見せることではありません。各拠点について、所在地、製品タイプ、工場区分、労働者数の規模、女性労働者比率、移民労働者比率、親会社、労働組合の有無まで示されています。違法就労や強制労働のリスクは、工場名だけでは判定できません。移民労働者の割合、外部の人材仲介会社の関与、国境をまたぐ採用経路、寮の運営状況などが重なって初めて、優先して見るべき拠点が浮かびます。

雇用管理の観点では、女性労働者比率や移民労働者比率の開示にも意味があります。衣料品工場では若年女性や地方出身者、国境を越えた移民労働者が多数を占めることがあり、ハラスメント、妊娠・出産に関する不利益、寮生活の制約、母語での説明不足が重なりやすいからです。労働組合の有無も、現場の声が経営に届く経路を測る材料になります。監査担当者が見るべきなのは、数字そのものより、声を上げにくい人がどこにいるかです。

同社は2017年から生産パートナーリストの公開を始め、その後に対象範囲を広げてきました。2026年3月には、従来分かれていた縫製・加工工場リストと主要素材・副資材工場リストを統合しています。完成品だけでなく、素材や副資材に近い段階まで情報を束ねることは、人権DDの実務では大きな意味を持ちます。労務リスクは最終縫製だけでなく、紡績、染色、洗い加工、ラベルやケアタグの生産にも潜むからです。

開示だけでは足りない雇用実態の把握

もっとも、公開リストは出発点にすぎません。工場が存在し、労働者数が示されていても、全員が適法な契約で働いているか、年齢確認が十分か、就労資格や雇用契約の説明が本人に理解されているかは、別の検証を要します。特に移民労働者は、渡航前の手数料、パスポート管理、契約内容の不理解、寮での生活制約などにより、表面上は雇用契約があっても自由な離職が難しくなる場合があります。

ファーストリテイリングの行動規範は、すべての生産パートナーに署名を求め、さらに上流の関係先へも規範を展開するよう求めています。2023年には外国人移民労働者の権利保護を強める改定も行いました。2025年度には14カ国のパートナー縫製工場432拠点に対し、行動規範や労働基準に関する研修を実施しています。

ここで問われるのは、規範を配ったかではなく、現場の採用と労務管理が変わったかです。雇用契約、賃金台帳、勤怠記録、社会保険、年齢確認、寮の安全性、苦情処理制度を突き合わせる作業は、地味ですが違法就労を見抜く中心になります。労務監査が経営監査に近づく理由は、取引先の人事制度と管理能力そのものを評価しない限り、リスクの再発を止められないためです。

新監査が変える違法就労リスクの検知

AからEまでの評価とゼロ容認項目

同社の新監査プログラムは、2025年8月期に導入されました。監査対象工場はAからEまでの5段階で評価され、E評価は重大な人権リスクと不十分な管理体制を示します。E評価に該当する例には、児童労働、強制労働、ハラスメント、差別、結社の自由の重大侵害、法定最低賃金の不払い、記録の改ざんなどが含まれます。

特徴的なのは、単発の違反だけでなく、提出情報の信頼性や過度な連続勤務もより厳しく見ている点です。違法就労は、工場が「違法な労働者を使っている」と明示される形では現れにくいものです。二重帳簿、事前に作られた面談回答、実態と異なる勤怠記録、外部寮や人材会社に残る情報の欠落が、より深いリスクの兆候になります。

2025年度の新監査では、縫製工場28拠点がE評価となりました。主な問題は、過度な連続勤務と共有情報の信頼性への懸念です。2026年1月末時点で14拠点は是正確認済み、11拠点は是正と再発防止策の実施中、残る3拠点は取引を終了しています。移行期に旧制度で監査された95拠点では、6拠点でゼロ容認項目が確認され、別途20拠点で重大な問題が見つかりました。

違反の内容も雇用管理の弱点を映します。旧制度での主な違反は、残業代や手当計算など賃金・福利厚生が45%、雇用契約の不備など採用・雇用が21%、不適切な解雇手続きや未払い賃金を含む退職関連が19%、長時間労働や労働時間記録の管理不備が10%でした。これは、違法就労対策が入国資格の確認だけでは完結しないことを示しています。

移民労働者の採用費返済と救済手続き

ファーストリテイリングが重視するもう一つの領域が、移民労働者の責任ある採用です。同社は2019年に、Fair Labor AssociationとAmerican Apparel & Footwear Associationが定めるResponsible Recruitmentへの支持を表明しました。2023年の更新後は、労働者が仕事を得るために費用を払わないこと、支払った費用は速やかに返金されること、身分証明書や渡航文書を労働者自身が管理すること、出国前に理解できる言語で雇用条件を知らされることを基準に掲げています。

この基準は、違法就労や強制労働の境界を見極めるうえで実務的です。採用費を借金で負担した労働者は、低賃金や長時間労働に不満があっても辞めにくくなります。パスポートが工場や仲介会社に保管されれば、形式上は自由意思の雇用でも、実際の移動や離職の自由が制限されます。契約条件が母語で説明されていなければ、本人が賃金や勤務時間を理解しないまま働き始めることも起こります。

同社はIOMなどと連携し、外国人移民労働者の採用・雇用に焦点を当てた監査を2022年に開始しました。監査では、方針、賃金、苦情処理、給与明細、雇用契約、寮を確認し、必要に応じて工場外で労働者に追加面談します。2025年度には16人の外国人移民労働者に約2万9350ドルの採用費等が返済され、2020年からの累計では9800人超に450万ドル超が返済されたと公表しています。

救済の窓口も監査と結びつけています。同社のホットラインはベトナム、バングラデシュ、インドネシア、インド、日本、中国など主要調達国で利用でき、申し立てには原則24時間以内の応答を目指す仕組みです。工場内の苦情処理制度と、ブランド側に直接届く窓口を併用することで、監査日以外に発生する未払い賃金、ハラスメント、契約違反を拾いやすくしています。

ここで重要なのは、救済を「違反後の補償」に閉じ込めないことです。採用費を返すだけでは、次の採用で同じ費用が発生する恐れがあります。契約書の言語、仲介会社の選定基準、採用前説明、寮の規則、給与控除の承認手続きまで変えなければ、労働者は再び同じ弱い立場に置かれます。監査の質は、違反を数える能力ではなく、採用と雇用の仕組みを再設計できるかで測られます。

EU規制で高まる取引停止と製品排除リスク

EUの企業サステナビリティ・デューデリジェンス指令は、大企業に人権・環境上の悪影響を特定し、予防し、停止または最小化し、救済し、効果を監視し、情報開示することを求めます。対象企業は段階的に適用され、2027年から超大規模企業、2028年から次の規模の企業、2029年からその他の対象企業へ広がります。しきい値はEU企業で従業員1000人超、世界売上高4億5000万ユーロ超などが基準です。

同時に、EUの強制労働製品規則は2027年12月14日から本格適用されます。規則は、強制労働によって作られた製品をEU市場に置くこと、EU市場で利用可能にすること、輸出することを禁じます。対象は製品の種類や原産国に限定されず、原材料の採取、製造、加工など生産のどの段階で強制労働が使われた場合にも及びます。

この二つの規制は性格が異なります。人権DD指令は、企業の管理体制と手続きの義務化です。強制労働製品規則は、問題が確認された製品の市場排除です。衣料品企業にとっては、監査記録、是正計画、労働者への救済、取引停止の判断過程を残しておくことが、製品流通を守る防波堤になります。

ただし、取引停止は万能薬ではありません。突然の発注停止は、工場の資金繰りを悪化させ、労働者の解雇や賃金未払いを招く恐れがあります。ファーストリテイリングの責任ある購買方針は、取引終了時に工場の事業や労働者への影響を評価し、発注量や終了時期を含む撤退計画を検討するとしています。人権リスクの高い工場から逃げるだけでは、労働者を救済したことにならないからです。

欧州規制が求めているのも、形式的な書類の積み上げではありません。OECDの衣料・履物セクター向けガイダンスや、ILO・IFCのBetter Workが重視するのは、リスクに応じた優先順位、労働者との対話、是正の実効性です。監査でE評価が出た後に、誰が、いつまでに、どの雇用制度を直すのか。ここまで追える企業ほど、規制対応を競争力に変えやすくなります。

Better Workは、政府、使用者団体、労働者団体、ブランド、工場をつなぐ枠組みとして、衣料品産業の労働条件改善を進めています。公開情報では11カ国、2250工場、370万人の労働者を対象とする規模です。個別企業の監査だけでは、国ごとの労働行政や工場経営の慣行までは変えにくい面があります。業界共通の評価枠組みを併用することは、監査の重複を減らし、工場側が是正に使える時間と資金を確保するうえでも重要です。

一方で、共通枠組みに参加していることは免責にはなりません。EU規制の下では、企業自身がどの拠点を高リスクと見たか、どの証拠に基づき判断したか、労働者や代表者とどう対話したかが問われます。ファーストリテイリングのように調達量が大きい企業は、価格交渉や納期変更が工場の残業を増やしていないかも検証対象になります。人権DDは、取引先を監視するだけでなく、自社の購買行動を点検する制度でもあります。

消費者と企業が確認すべき調達責任

ファーストリテイリングの人権監査強化は、約700工場規模のサプライチェーンを「見える化」から「是正できる管理」へ進める試みです。新監査は、賃金、労働時間、契約、採用仲介、寮、苦情処理を一体で見ます。これは、働く人の権利を守るだけでなく、規制違反による販売停止やブランド毀損を避けるための経営基盤です。

読者が企業を見る際は、工場リストの有無だけでなく、監査結果、重大違反時の取引判断、採用費返済などの救済実績、責任ある購買方針まで確認する必要があります。投資家や取引先は、重大違反の件数が一時的に増えることだけを悪材料と見るのではなく、発見率、是正完了率、再発防止策の中身を合わせて読むべきです。

人権DDの時代に評価されるのは、問題がないと主張する企業ではありません。問題を見つけ、労働者を救済し、再発防止まで説明できる企業です。ファストリの監査強化は、その説明責任を国内外の消費者、規制当局、投資家に向けて果たせるかを試す局面に入っています。

参考資料:

渡辺 由紀

雇用・人材戦略・キャリア

雇用・人材戦略・キャリアを専門に取材。高専人材の争奪戦から中途採用市場の変化まで、「働く」を取り巻く構造変化を解き明かす。

関連記事

感染USB社会拡散、自衛隊から工場・研究所まで及ぶ供給網リスク

感染USBは自衛隊だけの問題ではありません。低価格な通販品、委託先の保守端末、工場の制御システム、研究所の隔離環境を横断し、マルウェアが社会インフラへ入り込む経路になっています。Mandiant、MITRE、NISTの公開資料を基に、防衛と産業の供給網リスク、企業が点検すべき調達・持ち込み・検知の要点を解説。

中国レアアース規制が迫る日本モーター供給網の脱中国と技術防衛

中国のレアアース輸出管理は、ジスプロシウムやテルビウムを使う高性能磁石を通じてEV・産業機械のモーター生産を揺さぶっています。2026年5月の対日磁石輸出は123トン、前月比34.6%減。対日管理強化と2010年危機後の教訓から、調達分散と技術流出防止の条件を読み解く。日本製造業の実務上の備えを解説。

CLO義務化で荷主の物流経営はコスト部門から価値創出の中核へ

改正物流効率化法の全面施行で、取扱貨物9万トン以上の特定荷主にはCLO選任や中長期計画、定期報告が求められます。荷待ち・荷役削減、積載効率44%、100万円以下の罰金という制度要件を踏まえ、物流を現場任せのコスト管理から、調達・販売・在庫・取引先を動かす経営課題へ転換する条件を先行企業の事例とガバナンスの視点で解説。

最新ニュース

AI活用に揺れる取締役会が問われる意思決定委任の限界と責任設計

AI導入が経営判断に入り込む中、取締役会は効率化と責任の境界をどう引くべきか。EU AI Act、NIST、ISO 42001、英国金融規制、McKinseyやMITの調査を踏まえ、AIへ委ねられる範囲、説明責任、監督設計、投資対効果を巡る実務論点を読み解く。英国企業の出遅れと金融分野の警告から実務を解説。

USB攻撃と中国軍の影、日本企業と防衛網が塞ぐべき供給網の盲点

USBメモリーは古い攻撃手段に見えて、隔離網や委託先をまたぐ情報窃取に今も使われています。中国系APTの事例、MirrorFace、Volt Typhoon、Mandiantが報告したUNC4191を手掛かりに、日本の防衛・企業ネットワークが取るべき媒体管理、ログ監視、委託先統制の実務対策の要点を解説。

新型CX-5が握るマツダ国内販売再建と若年顧客開拓の勝算検証

9年ぶり刷新のCX-5は、国内で存在感低下に悩むマツダの顧客接点を広げる試金石です。大型化やGoogle搭載、ハイブリッド投入予定の強みと、低価格小型車縮小やRAV4電動化競争が迫る販売再建の条件を、北米販売データと軽自動車優位の国内事情から、新規顧客開拓の壁とブランド再生の道筋を多角的に読み解く。

自然資本経営が企業収益を左右するネイチャーポジティブ新基準時代

ネイチャーポジティブはCSRではなく、調達、資本コスト、開示、取締役会の監督に直結する経営課題です。NPIのState of Nature指標、TNFD、SBTN、CBD目標15、44兆ドルの自然依存リスクを手掛かりに、国内企業が自然資本を収益と事業継続性へ結び付ける実務戦略とガバナンス改革を読み解く。

「テスト」投稿が6分で100万表示、SNS農場ビジネスの実態

「テスト」とだけ書いたX投稿が約6分で100万表示に達した――TBS『報道特集』が報じたSNS農場ビジネスの衝撃を起点に、茨城県の施設で大量のスマホを操り年商45億円規模で表示や「いいね」を売買する仕組みと、X収益分配が招く偽情報の経済化、東大・鳥海教授らが警告する選挙悪用とAIによる判別困難化を解説します。