東急バス外国人運転士が示す人材定着と安全教育改革の現場実装論
外国人運転士が迫る地域交通の再設計
東急バスで特定技能の外国人運転士が乗務を始めたことは、単なる採用ニュースではありません。路線バスが生活インフラでありながら、担い手不足で減便や路線見直しに追い込まれる時代に、企業が人材を「採る」だけでなく「育てて定着させる」力を問われているためです。
国土交通省は、バス運転者が令和元年度から令和4年度にかけて約2.4万人減少したと整理しています。日本バス協会の試算として報じられた数字では、2030年に必要人員12万9000人に対し、実際の運転手数は9万3000人まで減り、3万6000人が不足する可能性があります。
こうした状況で外国人材の活用は、穴埋め策ではなく、事業継続の中核に近づいています。運転技術、接客、日本語、生活支援、地域との信頼形成を一体で設計できるかどうかが、運行本数や安全品質を左右します。
本稿では、特定技能制度の要件、バス業界の需給構造、東急バスの研修・採用事例を横断し、外国人運転士を人的資本として定着させる条件を考えます。焦点は「外国人だから特別扱いするか」ではなく、多様な人材が同じ安全基準で働ける組織能力です。
特定技能が開いたバス運転士採用の新ルート
24,500人枠が示す制度転換の本気度
自動車運送業は、2024年3月の制度変更で特定技能1号の対象に加わりました。出入国在留管理庁の特定技能総合支援サイトは、自動車運送業分野の受け入れ見込み数を2024年4月から2029年3月までの5年間で24,500人と示しています。対象業務には、トラック、タクシー、バスの運転と付随業務が含まれます。
バス運転士の要件は軽くありません。特定技能1号評価試験のバス区分に合格し、第二種運転免許を取得し、日本語能力試験N3以上を満たす必要があります。さらにバスとタクシーでは、新任運転者研修の修了も求められます。制度上は外国人材の道が開きましたが、実務上は「採用してすぐ乗務」ではなく、免許、技能、日本語、研修の複数段階を越える設計です。
国土交通省は自動車運送業分野の特定技能評価試験を日本海事協会が実施すると案内し、日本海事協会は2024年12月に出張試験の受付開始を公表しました。個人受験のCBT方式も準備され、制度の入口は整いつつあります。ただし、入口が広がっても、現場に定着するまでのコストは企業側に残ります。
2024年問題が狭めた従来採用の余地
外国人材の議論は、国内採用の不振だけで説明すると不十分です。バス業界では、労働時間規制と安全管理の強化が同時に進み、同じ運行本数を維持するために必要な人員が増えやすくなっています。
厚生労働省の長時間労働改善ポータルによると、バス運転者の改善基準告示は2024年4月から改正後の基準が適用されています。時間外労働の上限は原則月45時間、年360時間で、臨時的な特別事情がある場合でも年960時間です。1日の休息期間も、継続11時間を基本とし、9時間を下回らないことが求められます。
これは安全と健康のために必要な改革です。一方で、長時間労働に依存してダイヤを維持してきた事業者ほど、労働時間の適正化がそのまま運転士不足として表面化します。労働環境を良くするほど人手が足りなくなるという逆説が、現場の切迫感を生んでいます。
賃金面の改善も進んでいます。国土交通白書2025は、バス運転者の平均年間給与が令和4年の399万円から令和6年には463万円へ増加したとしています。乗合バスでは令和2年4月以降、令和6年末までに126事業者で運賃改定が行われました。待遇改善は不可欠ですが、免許取得や研修に時間がかかる職種である以上、賃金を上げただけで短期的に人員が戻るわけではありません。
入口拡大だけでは埋まらない定着差
外国人労働者はすでに日本の雇用を支える存在です。厚生労働省が公表した2025年10月末時点の外国人雇用状況では、外国人労働者数は2,571,037人で過去最多となりました。外国人を雇用する事業所数も371,215所で、こちらも過去最多です。
この数字は、外国人材の採用競争が業界をまたいで激しくなることを意味します。バス会社は、製造、介護、宿泊、外食、建設などと同じ労働市場で選ばれなければなりません。しかもバス運転士は、乗客の安全を直接預かるため、求められる日本語と判断力の水準が高い職種です。
したがって、特定技能は「人手不足を解く魔法の制度」ではありません。むしろ、採用前教育、入国後の生活支援、免許取得支援、現場研修、乗務後フォローを長期投資として扱える企業だけが成果を出せる制度です。人的資本経営の観点では、採用数よりも、乗務デビュー率、定着率、事故・苦情の推移、キャリア形成の有無を見なければなりません。
東急バスの研修現場に見る定着設計
採用国選定から始まる適性設計
東急バスの事例が注目されるのは、制度が開いた後に早く動いただけではなく、採用国、事前教育、免許取得、現場研修を一本のプロセスとして組み立てている点です。Japan Viewの人事担当者インタビューによると、同社は当初、ベトナム人運転士の採用を検討しましたが、JLPT N3以上という要件が高い壁となり、方針を見直しました。
その後、視野を広げた先がインドネシアやネパールでした。インドネシアは日本と同じ右ハンドル・左側通行で、現地にBRTのようなバス高速輸送システムがあり、運転職へのなじみもあります。技能実習経験者が多いことも、日本で働く意欲や生活適応を見極める材料になります。
この採用国選定は、人材戦略として重要です。外国人材の採用では「どの国から何人採るか」に目が向きがちですが、実際には交通文化、運転経験、日本語学習の土台、家族や生活面の事情まで含めて、乗務デビューまでの成功確率が変わります。採用国の選定は、採用部門だけでなく、安全部門と教育部門も関与すべき工程です。
2025年9月に入国した一期生のインドネシア人3人は、2026年3月に正式乗務を始めました。Japan Viewは、1人が大田区の池上営業所、2人が川崎市の虹が丘営業所で乗務を始め、そのうちマハトミ・リスマルタンティさんが全国初の特定技能による外国人女性バス運転士になったと伝えています。タウンニュースも、虹が丘営業所の2人が宮前区内などでハンドルを握る姿を報じています。
免許取得と新任研修の二重ゲート
バス運転士の育成は、免許取得で終わりません。東急バスの採用情報は、運転士として独り立ちするまでの流れとして、新入社員研修、営業係、大型二種免許養成、教育センターでの教習、配属先での教習、運転士デビューを示しています。国内人材向けにも、大型二種免許取得費用を会社が負担し、自動車学校通学中も給与を支給する養成制度を設けています。
外国人運転士の場合、この流れに特定技能の制度要件が重なります。マハトミさんの事例では、母国で普通自動車免許を取得し、JLPT N3と特定技能1号評価試験に合格したうえで来日しました。その後、外免切替、大型二種免許の取得、新任運転者研修へ進み、在留資格を特定技能へ変更するという段階を踏みます。Japan Viewは、社内の新任運転者研修が4〜5カ月に及ぶ流れを紹介しています。
東急バスの教育体制で注目すべきは、研修を属人的な勘に閉じていないことです。IT機器を搭載した安全運転訓練車では、燃料消費量や車間距離などの走行データに加え、運転士の視線や声も記録し、運転の癖を客観的に確認します。運転技能評価システム「Objet GV」も導入し、GPSやセンサーを組み合わせて運転傾向を評価しています。
これは外国人材に限らず、未経験者を育てるうえで有効な仕組みです。熟練教官の経験にデータを重ねることで、指導内容を説明しやすくなります。日本語で微妙なニュアンスを伝えにくい場面でも、走行データや映像があれば、どの地点で確認が遅れたか、車間がどの程度詰まったかを共有できます。
現場で効くやさしい日本語の管理技術
外国人運転士の定着で最も見落とされやすいのが、日本語能力の種類です。JLPT N3は重要な基準ですが、試験で測る読解や文法と、停留所で乗客の言葉を聞き取り、運賃や乗換案内を短時間で処理する能力は一致しません。
Japan Viewの人事担当者インタビューでは、一期生が乗客に丁寧に対応する姿を見て、言語面の不安が和らいだという趣旨が語られています。一方で、研修では専門用語や日本特有の交通ルールの理解に苦労があり、指導側が「正しくやさしい日本語」を意識したことも紹介されています。
ここに現場マネジメントの要諦があります。外国人材にだけ日本語努力を求めるのではなく、指導する側も表現を標準化し、曖昧な叱責や経験則の言い回しを減らす必要があります。例えば「もっと気をつけて」ではなく、「右折前に一旦停止し、横断歩道、対向車、車内の順で確認する」と動作に分解するほうが、教育効果は高まります。
これは結果的に日本人新人にも効きます。安全運転の技能は、言語化しにくい暗黙知が多い領域です。外国人運転士の受け入れをきっかけに、指導言語、チェックリスト、映像教材、フィードバック方法を整えることは、組織全体の教育資産になります。
安全と多文化対応を両立する管理課題
接客言語の過小評価という盲点
バス運転士は、運転職であると同時に接客職です。日本バス協会は、運転士の最大の責任を乗客を安全かつ確実に目的地まで送り届けることとし、車外だけでなく車内の安全や乗客同士のトラブルにも気を配る仕事だと説明しています。東急バスのキャリア採用情報も、運転士選考でコミュニケーション能力を重視すると明記しています。
外国人運転士の受け入れでは、この接客言語を過小評価しないことが重要です。運賃、乗換、遅延、忘れ物、ベビーカー、車いす、急病、迷惑行為など、乗務中には短時間で判断すべき場面が多くあります。すべてを個人の日本語力に委ねるのではなく、定型案内、車内表示、遠隔支援、営業所への連絡手順を組み合わせる必要があります。
地域との信頼形成を左右する初期運用
公共交通は、地域の目にさらされる仕事です。外国人運転士が初めて乗務する時期には、乗客の期待と不安が同時に生まれます。企業側は「制度上の要件を満たしている」だけでなく、どのような研修を経て、どの安全基準で乗務しているのかを地域に説明できる状態にしておくべきです。
日本バス協会の外国人バス運転手向けページは、特定技能外国人にも日本人と同様の新任運転者研修を実施し、チェックリストで修得状況を確認する手順を示しています。修了証書の交付要領も整えられており、個社の努力だけでなく業界としての最低ラインが形になりつつあります。
初期運用では、単独乗務の見極め、担当路線の選定、クレーム発生時の支援、指導運転士の負荷管理が要点になります。特に最初の数カ月は、本人の努力だけでなく、営業所全体の受け入れ余力が成否を分けます。ここを軽く見ると、採用コストが離職という形で失われます。
制度依存を防ぐ待遇改善の継続
外国人材の活用は、低賃金の温存策であってはなりません。国土交通白書が示す通り、バス運転者の給与は改善傾向にありますが、他産業との比較ではなお魅力を高める余地があります。外国人材に選ばれる会社は、日本人にも選ばれる会社です。
住居、医療、送金、家族、宗教・食生活、日本語学習、キャリアアップの相談窓口は、定着率に直結します。東急バスの採用情報は、独身寮や社宅、東急グループの福利厚生も案内しています。外国人運転士についても、こうした制度を「採用時の特典」ではなく、長く働ける生活基盤として使えるかが問われます。
経営者が人材投資で注視すべき指標
外国人運転士の受け入れを成功させるには、採用人数を成果指標にしないことです。見るべき指標は、候補者の試験合格率、来日後の免許取得率、研修修了率、乗務デビューまでの期間、初年度定着率、事故・ヒヤリハット・苦情の推移、担当路線の拡大、リーダーや運行管理へのキャリア展開です。
同時に、指導側の指標も必要です。教官の教育時間、営業所リーダーの負荷、教材の多言語化、やさしい日本語の定着度、相談対応の件数を追うことで、受け入れ体制の弱点が見えます。外国人材だけを評価するのではなく、組織が学習しているかを測る発想です。
東急バスの事例は、バス業界が外国人材を「即戦力」として消費する段階ではなく、人的資本として育てる段階に入ったことを示しています。地域交通を守るために必要なのは、制度活用の速さだけではありません。安全教育を標準化し、生活を支え、キャリアを開く経営の継続力です。
今後、他社が追随する際の焦点は、採用国の拡大よりも、現場で再現できる教育モデルの構築です。運転士不足は一社で解ける問題ではありませんが、各社が研修と定着の実務を磨けば、地域交通の供給制約を少しずつ押し戻すことができます。
参考資料:
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