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CGコード改訂で問われる稼ぐ力と現預金、取締役会の新たな説明責任

by 鈴木 麻衣子
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「稼ぐ力」を問う改訂が持つ市場への意味

コーポレートガバナンス・コードの2026年改訂は、上場企業に対する問いを一段深くしました。形式的に原則へ丸を付ける時代から、資本コストを上回る収益力をどうつくるのか、取締役会がどこまで説明できるのかを問う局面へ移ったためです。

金融庁と東京証券取引所は2026年7月21日、改訂版を公表しました。2015年の適用開始、2018年、2021年の改訂を経て、5年ぶりの大きな見直しです。意見募集には147の個人・団体が応じ、現預金、成長投資、リスク管理、情報開示、社外取締役の役割が論点になりました。

今回の焦点は、単純な株主還元強化ではありません。企業が現預金、設備、人材、知的財産、事業ポートフォリオをどのように組み合わせ、将来の稼ぐ力へ転換するかです。市場に選ばれる企業は、財務指標の改善だけでなく、意思決定の筋道を語れる企業へ変わっています。

現預金から成長投資へ広がる説明責任

丁寧なエクスプレインを促す原則主義

CGコードは法律の条文のように細部を命じるものではなく、プリンシプルベースの規範です。上場会社は原則を実施するか、実施しない場合には理由を説明する「コンプライ・オア・エクスプレイン」に従います。2026年改訂版は、この仕組みを改めて前面に出しました。

重要なのは、形式的な「遵守」よりも、会社ごとの事情に即した説明です。改訂版は、ひな型的な表現で済ませる説明を戒め、原則の趣旨に照らした丁寧なエクスプレインを求めています。これは企業法務の観点では大きな意味を持ちます。コード違反そのものが直ちに法的責任を生むわけではありませんが、説明が薄い場合、投資家の信認、議決権行使、株主提案、買収局面での評価に跳ね返ります。

特に注目すべきは、補充原則の再整理です。2026年改訂では、細かな項目を整理し、重要な論点を原則や解釈指針へ移しました。負担軽減だけが狙いではなく、企業が本質的な論点に集中するための「スリム化」です。つまり、開示項目が減ったから楽になるのではありません。むしろ、企業側の裁量が広がった分だけ、説明の質がより厳しく見られます。

東証はプライム市場とスタンダード市場の上場会社に全原則、グロース市場の上場会社に基本原則への対応を求めています。したがって、改訂の影響は大企業だけにとどまりません。スタンダード市場の企業や創業者色の強い会社でも、資本政策、関連当事者取引、少数株主保護、成長投資の説明が投資家との対話の出発点になります。

資本配分を語れない企業への評価圧力

今回の改訂で最も象徴的なのは、現預金等の金融資産や実物資産を含む経営資源について、成長投資等に有効活用できているかを取締役会が不断に検証すべきだとした点です。これは「現預金を持つな」という意味ではありません。むしろ、なぜ持つのか、いつ使うのか、使わないなら他の選択肢より合理的なのかを説明する責任が明確になったということです。

東証は2023年3月31日から、プライム市場・スタンダード市場の全上場会社に「資本コストや株価を意識した経営」を要請してきました。2026年4月28日のアップデートでは、経営資源の適切な配分が中心論点に据えられました。東証資料では、プライム市場の約9割、スタンダード市場の約5割が開示を行ったとされ、資本コストや市場評価への意識は広がっています。

ただ、広がったことと、深まったことは別です。投資家が見ているのは、PBRやROEの数字だけではありません。事業ごとの資本収益性、成長投資の優先順位、撤退基準、M&Aの規律、人材投資や研究開発の回収仮説まで含め、資本配分の物語がつながっているかです。株主還元を増やしても、将来の収益基盤が細れば評価は続きません。一方で成長投資を掲げても、既存事業の延長にすぎず、リターンの検証がなければ説得力を持ちません。

ここで取締役会の役割が重くなります。改訂コードは、取締役会が成長の道筋を構築し、自社の資本コストを的確に把握した上で、経営戦略や資本政策を示すべきだとしています。資本配分はCFOや経営企画部門だけの仕事ではなく、取締役会が監督すべき中核テーマになったのです。

合理的な現預金保有を示す検証軸

企業にとって現預金は、防衛的な意味を持ちます。リーマンショック、パンデミック、サプライチェーン寸断を経験した経営者ほど、手元流動性を厚くする合理性を強く感じています。研究開発型企業や成長投資のタイミングを待つ企業では、多めの現預金が事業戦略と整合する場合もあります。

問題は、保有額そのものではなく、検証の有無です。必要運転資金、設備更新、買収余力、信用格付け、為替・資源価格変動、地政学リスクへの備えなど、現預金を持つ理由を定量・定性の両面で説明できるかが問われます。取締役会が「前例通り」「不測の事態に備えるため」とだけ述べる場合、投資家は過剰保守とみなす可能性があります。

逆に、現預金の保有方針を明確に示す企業は評価されやすくなります。例えば、基準となる必要手元資金を定義し、それを超える資金を研究開発、人材投資、設備投資、M&A、負債返済、配当、自社株買いへどう振り向けるかを説明する形です。投資家は万能の正解を求めているのではありません。取締役会が選択肢を比較し、機会コストを理解し、株主に分かる言葉で判断を語ることを求めています。

取締役会に求められる対話と監督の実効性

地政学リスクを成長機会に変える監督

2026年改訂のもう一つの特徴は、リスク管理を守りの機能に閉じ込めていない点です。改訂コードは、内部統制や全社的リスク管理を、コンプライアンスのためだけでなく、経営陣が果断なリスクテイクを行う裏付けにもなるものと位置付けています。

具体的には、サイバーセキュリティ、国際的な経済安全保障を巡る環境変化、地政学的要因によるサプライチェーン途絶、技術情報の流出などが挙げられています。これらは単なる危機管理項目ではありません。調達先の分散、重要部材の内製化、データ管理、輸出管理、人権デューデリジェンス、拠点再編、価格転嫁力の強化など、事業戦略と結び付く論点です。

OECDの2023年版コーポレートガバナンス原則も、取締役会がリスク管理方針と手続を監督し、地政学的緊張やサプライチェーン混乱など外部リスクに備える体制を持つべきだと示しています。日本のCGコード改訂は、この国際的な潮流と重なります。

ここで問われるのは、リスク一覧表の整備ではありません。取締役会が、どのリスクを取るのか、どのリスクを避けるのか、どのリスクを価格や投資で吸収するのかを経営戦略として議論しているかです。例えば、海外売上比率が高い製造業であれば、地政学リスクは売上機会と供給制約の両面を持ちます。取締役会は、危機発生後の対応だけでなく、平時から事業ポートフォリオや資本配分に織り込む必要があります。

社外取締役と取締役会事務局の翻訳機能

日本企業では独立社外取締役の人数は増えました。しかし、人数が増えたことと、取締役会が機能していることは同じではありません。2026年改訂は、取締役会の実効性を問う段階に入りました。社外取締役が経営陣を追認するだけなら、市場は「監督」とは見ません。

実効性を左右するのは、議題設定、資料設計、論点整理、社外取締役への情報提供です。取締役会事務局は単なる運営担当ではなく、執行側の情報を監督側が判断できる形に翻訳する役割を担います。事業部門の投資計画を、資本コスト、リスク、撤退基準、人的資本、知財、サステナビリティ、競争優位性に分解して提示できるかが重要です。

社外取締役にも専門性の更新が求められます。資本市場、M&A、サイバー、経済安全保障、人材戦略、データ活用など、取締役会で扱う論点は広がっています。スキルマトリックスを開示するだけでは不十分です。実際の議題に照らして、どの知見がどう使われ、どの不足を外部アドバイザーや研修で補っているかまで説明できる企業が強くなります。

指名・報酬委員会の役割も重みを増します。改訂コードは、CEOの選解任や後継者計画を取締役会の重要な戦略的意思決定と位置付けています。稼ぐ力を高める計画を掲げても、それを実行する経営トップの評価軸や報酬制度が短期利益だけに偏っていれば、メッセージは矛盾します。中長期の企業価値に連動する報酬設計、失敗を検証できる評価制度、経営人材の育成計画が一体で見られる時代です。

対話の質を左右する総会前開示とIR設計

改訂コードは、有価証券報告書の株主総会前提出にも踏み込みました。有報には、財務情報だけでなく、事業等のリスク、サステナビリティ、人材、政策保有株式、ガバナンスなど、議決権行使に必要な情報が集約されています。総会後に有報が出る慣行では、株主が十分な情報を持って議案を判断しにくいという問題がありました。

もっとも、実務上は監査、招集通知、会社法書類、金融商品取引法上の開示が複雑に絡みます。金融庁の有識者会議でも、総会3週間以上前の提出は現行実務では容易でないとの認識が示され、制度面の検討と並行する必要が指摘されました。ここでも、企業は「できない理由」を述べるだけでは足りません。可能な範囲で、決算説明資料、統合報告書、適時開示、IR面談、ガバナンス報告書をどう組み合わせるかが問われます。

投資家との対話は、年1回のIRイベントでは完結しません。東証は2024年1月から資本コスト要請に基づく開示企業一覧を公表し、2026年1月からはコーポレート・ガバナンス報告書における各社の開示内容も掲載しています。横比較が容易になるほど、抽象的な説明は目立ちます。企業は、同業他社より優れた指標を並べるだけでなく、自社固有の事業構造と資本政策の関係を説明する必要があります。

過剰反応が招く短期主義と形式対応の落とし穴

今回の改訂には、注意すべき副作用もあります。資本効率への圧力が強まるほど、短期的にROEを上げるための過剰な自社株買いや投資抑制に流れる企業が出る可能性があるためです。これはCGコードが目指す成長投資とは逆方向です。

現預金への批判も、単純化すべきではありません。財務の安全性を軽視すれば、景気後退や供給制約の局面で投資余力を失います。重要なのは、現預金を減らすことではなく、現預金の目的、上限、使途、見直し頻度を取締役会で検証することです。成長投資も同様です。投資額を増やすだけでは評価されず、資本コストを上回るリターン仮説と実行管理が必要です。

もう一つの落とし穴は、開示の美文化です。統合報告書や中期経営計画にきれいな図表を並べても、取締役会で実際に議論されていなければ、投資家との対話で見抜かれます。社外取締役が何を問い、経営陣がどの選択肢を退け、どのリスクを引き受けたのか。そうした意思決定の痕跡こそが、実質的なガバナンスの証拠になります。

企業側だけでなく、投資家側の責任も重くなります。コードは、企業の個別事情を尊重し、表面的な不遵守だけで機械的に評価しないことも求めています。短期の株価や還元だけを迫る対話では、企業価値向上にはつながりません。企業と投資家が緊張感ある信頼関係を築けるかが、改訂後の実効性を左右します。

経営者と投資家が点検すべき三つの宿題

2026年改訂の本質は、上場企業に「稼ぐ力の説明可能性」を求めた点にあります。第一の宿題は、資本コストを踏まえた成長の道筋です。事業ポートフォリオ、投資優先順位、撤退基準、人的資本、知財を一つの論理で結ぶ必要があります。

第二の宿題は、取締役会の実効性です。社外取締役の人数や委員会の設置だけでなく、どの議題をどの情報で議論し、経営陣のリスクテイクをどう支えたかが問われます。第三の宿題は、投資家との対話です。現預金を持つ理由、使う計画、使わない判断を、株主に分かる言葉で継続的に説明することが欠かせません。

投資家にとっては、改訂コードへの対応状況が企業選別の材料になります。単に「開示済み」かどうかではなく、資本配分の一貫性、取締役会の関与、リスク管理と成長戦略の接続を読むべきです。企業にとっては、ガバナンス対応を守りの事務作業にせず、資本市場に自社の成長仮説を示す機会に変えられるかが勝負になります。

参考資料:

鈴
鈴木 麻衣子

企業経営・コーポレートガバナンス

企業経営・コーポレートガバナンスを専門に取材。経営戦略の成功事例から不正会計の構造的問題まで、企業の「あり方」を鋭く問う。

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