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選択制DBで公的年金減も 厚労省の説明要請で問われる企業責任とは

by 鈴木 麻衣子
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選択制DBへの説明要請が映す制度の空白

厚生労働省は、給与の一部を掛金に振り替える「選択制」の確定給付企業年金(DB)について、将来の厚生年金や休業時の給付が減る可能性を従業員へ説明するよう事業主に求める方針です。早ければ2026年度内にも通知を出すとされています。

焦点は、老後資産が増えるかどうかだけではありません。手取りを押し上げる社会保険料の軽減と、病気・出産・失業時の保障低下が同じ仕組みから生じます。従業員が納得して選べる情報提供と、会社側のコスト削減が先行しない統治が問われます。

厚労省の統計では、DB全体は2024年度末で1万1653件、加入者は887万人です。ただし、審議会では選択制だけの導入企業数を把握できていないとの指摘も出ました。今回の説明要請は、長く残っていた情報開示の空白を埋める一歩です。

給与振替で保険料と給付が同時に下がる構造

「給与天引き」ではない事業主掛金の仕組み

選択制DBでは、従業員が給与として受け取るか、企業年金への拠出を選ぶかを決めます。既存給与を原資にする典型例では、会社が給与規程を見直して手当を設け、その選択部分をDBの事業主掛金にします。給与を支給した後で従業員負担分を控除する仕組みではありません。

事業主掛金は労働基準法上の賃金に当たらず、社会保険料の算定対象にもならないというのが厚労省の整理です。DBは原則として事業主が掛金を出し、制度上の拠出限度額もありません。ただし、従業員が自由に無制限で拠出できる意味ではなく、選択可能額や給付条件は各社の規約に従います。

標準報酬月額を通じた厚生年金への影響

厚生年金の保険料率は18.3%で、標準報酬月額などを基に労使が折半します。掛金への振替によって報酬が下がり、標準報酬月額の等級も下がれば、本人と会社の保険料負担は軽くなります。一方、老齢厚生年金の報酬比例部分も、平均標準報酬額と加入月数を基礎に計算されるため減少します。

ここには二つの注意があります。第一に、会社員である限り基礎年金の加入月数が直ちに減る話ではなく、主に厚生年金の報酬比例部分への影響です。第二に、標準報酬月額は幅のある等級です。給与を振り替えても等級の境界をまたがなければ、厚生年金保険料や将来給付が同じ場合があります。

標準報酬月額は原則として4〜6月の報酬で決まり、9月から翌年8月まで使われます。固定的賃金の変動後、3カ月平均で2等級以上の差が出れば随時改定の対象です。したがって「掛金1円につき年金が同額だけ減る」といった説明は正確ではなく、現在の等級と加入期間を使った個別試算が必要です。

病気・出産・失業時に表れる短期の不利益

影響は老後だけではありません。協会けんぽの傷病手当金と出産手当金は、支給開始前12カ月の標準報酬月額の平均を基礎に、原則として1日当たり平均額の30分の1の3分の2で計算します。標準報酬月額が下がった状態が基礎期間に入れば、休業中の生活費も少なくなる可能性があります。

失業時の基本手当日額は別の経路で影響を受けます。原則として離職直前6カ月の賃金合計を180で割った賃金日額に、年齢や賃金水準に応じた率を乗じます。選択部分が賃金でなく事業主掛金になるため、離職前賃金が低くなれば基本手当も下がり得ます。

現在の保険料減だけを示し、将来年金と休業・失業給付を小さく表示する説明では、選択に必要な情報がそろいません。特に、出産を予定する人、病気で長期休業する可能性がある人、転職を考える人では、短期給付の価値が相対的に大きくなります。

税制メリットと企業年金の価値を測る判断軸

DB特有の給付設計と運用リスクの分担

DBは、加入期間などに基づいて給付の算定方法をあらかじめ決め、事業主や企業年金基金が資産を運用する制度です。積立不足が生じた場合は、原則として事業主が追加掛金で埋めます。加入者が商品を選び、その運用結果で受取額が変わる確定拠出年金(DC)とは、リスクの持ち方が異なります。

これは選択制DBの重要な利点です。自ら投資判断を続けなくても、規約に沿った給付を見通しやすく、公的年金への上乗せを準備できます。一方で、給付額、受給開始年齢、年金と一時金の選択、退職時の扱いは制度ごとに違います。「DBだから必ず有利」ではなく、規約上の給付と失う公的保障を同じ期間で比べる必要があります。

拠出時非課税と受給時課税の時間差

国税庁によると、事業主がDB規約に基づいて出した掛金は、拠出時点で従業員の給与として課税されません。受給時は、年金なら公的年金等に係る雑所得、一時金なら退職所得として課税されます。税が消えるのではなく、老後まで課税を繰り延べ、受給方法に応じた控除を使える仕組みです。

比較すべき項目は次の通りです。

判断項目給与で受け取る場合選択制DBへ拠出する場合
現在の可処分所得現金で受け取りやすい掛金分は手元に残らない
税と社会保険料課税・算定対象拠出時の給与課税なし、社会保険料の算定対象外
公的給付算定基礎を維持しやすい厚生年金や各種手当が減る可能性
老後資金自分で貯蓄・運用規約に基づく給付を準備
退職・転職時特別な手続きなし一時金や他制度への移換条件の確認が必要

DBの中途退職者は、規約に応じて脱退一時金を受け取るほか、企業型DCやiDeCoなどへ移す選択肢があります。DBからiDeCoなどへの移換は、原則として資格喪失から1年以内の手続きが必要です。転職可能性が高い人は、加入前にポータビリティーと手続期限まで確認すべきです。

従業員ごとに異なる損得の分岐点

有利不利は、税率だけで決まりません。掛金額、標準報酬月額の等級、加入予定年数、年齢、出産・休業の予定、雇用の安定性、会社の給付設計を合わせて見る必要があります。高い税率が適用され、長く加入できる人には繰り延べ効果が大きい一方、近く休業や転職を予定する人は短期給付の低下が重くなり得ます。

また、会社も厚生年金保険料を折半しているため、標準報酬月額が下がれば事業主負担が軽くなります。従業員の資産形成支援と会社の人件費削減が同時に起きる点は、ガバナンス上の利益相反です。導入判断を営業資料や人事部だけに委ねず、取締役会や監査部門が説明の中立性を点検する意義があります。

通知後に企業が備える説明責任と労務リスク

今回想定される通知は、選択制DBを一律に禁じるものではなく、すでに選択制DCで明文化されている説明の考え方をDBにも及ぼす方向です。厚労省の審議会では2023年から、DBには社会保険・雇用保険給付への影響を説明する規定がないことが繰り返し問題視され、2024年には法令解釈通知への追記が具体的に議論されました。

企業は、制度のメリットとデメリットを同じ大きさで示す必要があります。最低限、掛金別の手取り、標準報酬月額の等級、老齢厚生年金、傷病・出産手当金、失業給付、受給時課税、退職時の扱いを一覧化すべきです。一つのモデル社員だけでなく、年齢や家族状況が異なる複数例を示す方が、選択の実質性を高めます。

既存給与を減らして制度を導入する場合は、説明不足が年金制度だけの問題にとどまりません。厚労省は、労働条件の変更は労使の合意が原則で、一方的な不利益変更は原則できないと説明しています。就業規則による変更には合理性と周知が必要です。制度同意と個人の加入選択を混同せず、いつ選択を変更できるかも明確にする必要があります。

さらに、会社側の社会保険料削減額を社内で把握し、その一部を制度運営や追加給付に還元しているかを開示すれば、福利厚生という目的との整合性を示せます。通知対応を法務上の文言追加で終わらせず、報酬設計の公正さを検証することが、経営陣の信頼維持につながります。

加入前に従業員と経営者が確認すべき事項

従業員は、月々の保険料がいくら軽くなるかだけで判断せず、「加入しない場合」と「加入する場合」の手取り、公的給付、DB給付を同じ期間で比較することが重要です。会社に個別試算を求め、標準報酬月額の等級が変わるか、退職時にどの選択肢があるかを確認すべきです。

経営者は、同意書を得ることをゴールにしてはいけません。制度導入時だけでなく、加入時、掛金変更時、結婚・出産など生活が変わる時に再説明できる仕組みが必要です。加入しない従業員が不利益を受けない運用も欠かせません。

選択制DBは、老後資産形成に役立つ一方、公的保障を小さくし得る制度です。厚労省の要請を機に、税・保険料の「お得さ」ではなく、生涯の報酬と保障を一体で示せるかが、企業の人事戦略とガバナンスの質を測る基準になります。

参考資料:

鈴
鈴木 麻衣子

企業経営・コーポレートガバナンス

企業経営・コーポレートガバナンスを専門に取材。経営戦略の成功事例から不正会計の構造的問題まで、企業の「あり方」を鋭く問う。

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