退職一時金廃止が映す王子HDの人材戦略と企業年金改革の最前線
退職一時金が報酬改革の焦点に浮上
王子ホールディングスが退職一時金制度の廃止へ動いたことは、単なる福利厚生の見直しではありません。長く勤めるほど退職時にまとまった給付を受け取る仕組みが、採用競争や転職を前提にした人材戦略と合いにくくなっていることを示しています。
退職給付は賃金、年金、税、労使関係が重なるため、企業にとって「最後に残る聖域」になりやすい領域です。ただ、厚生労働省の令和5年就労条件総合調査では、退職給付制度がある企業は74.9%にとどまり、制度がある企業の中でも「退職一時金制度のみ」が69.0%を占めています。制度の普及度は高い一方で、形はなお一時金中心です。
この記事では、王子HDとセガの公開資料、厚労省統計を照合しながら、退職一時金廃止がなぜ人材戦略の論点になったのかを整理します。セガやCCIGのように退職給付改革の文脈で名前が挙がる企業の動きは、個別制度の違いを超えて、退職後払いの報酬を現在の働き方にどう組み替えるかという共通課題を映しています。
王子HD改革が示す長期勤続モデルの限界
退職一時金は、戦後型の日本企業にとって強力な定着装置でした。勤続年数が長いほど給付が厚くなり、自己都合退職より定年退職が有利になる設計は、企業内で人材を育て、長期に囲い込む前提と相性が良かったためです。
しかし、王子HDの統合報告書を読むと、同社が直面している人材課題は、もはや長期勤続者を前提にした自然な補充では解けません。同社は2012年の持ち株会社化以降、事業構造を変え、海外従業員比率が過去12年で36.1%から58.5%へ上昇したと説明しています。一方で、国内の大規模会社では50代の比率が高く、特に製造現場の人員確保が近い将来の深刻な課題になると明記しています。
この文脈で退職一時金を廃止する意味は、コスト削減だけでは説明できません。むしろ、年功的な後払いを薄め、採用時点や在職中の処遇、スキル形成、資産形成支援へ報酬原資を振り向ける発想です。退職時に厚く払う制度は、若手や中途採用者から見ると価値を実感しにくい面があります。転職可能性が高い人材ほど、将来の一時金より、今の給与、職務機会、学び直し、持ち運べる年金制度を重視しやすくなります。
製造現場の年齢構成と採用競争
王子HDは統合報告書で、国内の年齢構成が50代に偏ることを示し、製造現場の人員確保を急務と位置付けています。2025年入社の高校卒採用充足率は、2024年入社の38%から72%へ改善したと説明しており、報酬や学校訪問など複数の施策を組み合わせています。
ここで重要なのは、退職給付が採用競争の一部になっている点です。高校卒、技術職、中途専門人材のいずれも、働き手側は「いつ受け取れるか分からない後払い」よりも、現在の生活設計やキャリア形成に結び付く報酬を評価します。特に製造業では、現場技能の継承と若年層の確保が同時に問われています。退職一時金の見直しは、賃上げや教育投資と切り離せない人材ポートフォリオ改革です。
一時金から自律的な資産形成へ
王子HDは人材関連ページで、主要グループ会社が65歳まで拠出可能な確定拠出年金を提供していると説明しています。従業員が自分のライフプランに合わせて拠出額を増やせる制度として位置付けられており、退職後資金を企業が一方的に給付する仕組みから、個人が運用を通じて積み立てる仕組みへの重心移動が見えます。
もちろん、確定拠出年金は万能ではありません。運用成果は個人に帰属するため、金融教育や商品選定、退職後の取り崩し支援が不十分なら、単に会社のリスクを従業員へ移すだけになります。だからこそ、退職一時金廃止を「企業年金への移行」とだけ捉えるのではなく、給与、教育、評価、福利厚生を含む総報酬設計の変更として見る必要があります。
セガに見る選択制DCと福利厚生の再設計
セガの採用サイトは、退職給付改革が採用広報と直結していることをよく示しています。同社は福利厚生ページで、任意加入の確定拠出年金制度を掲げ、従業員が賞与の一部を拠出し、自ら運用して老後資金に充てられる制度だと説明しています。退職給付を「退職時に会社からもらうもの」ではなく、「在職中に自分で設計する資産形成」として見せている点が特徴です。
同じページには、従業員持株会、健康支援、福利厚生サービス、ポイント制度も並びます。退職給付だけを独立した制度として見せるのではなく、日々の生活、健康、学び、資産形成を束ねた働く環境の一部として提示しているわけです。これは若手採用や中途採用で重要です。候補者は企業の退職金規程を細かく読むより先に、採用サイトで「この会社で働くと、どのように暮らし、成長し、資産をつくれるのか」を判断します。
セガサミーグループ全体でも、人材育成と働き方の柔軟化を強調しています。サステナビリティページでは、グループ内の学習機関であるSEGA SAMMY Collegeについて、2018年の開設から2025年3月までに累計61,138人が学んだと説明しています。セガの採用ページでも、140を超える講座や、eラーニング、英語学習、エンジニア向け学習機会が紹介されています。
採用市場で可視化される退職給付
退職給付はかつて、入社後に知る制度でした。いまは違います。採用サイト、人的資本開示、統合報告書で、企業は報酬や福利厚生を外部に説明しなければなりません。セガが任意DC、ハイブリッド勤務、副業制度、育児・介護支援を採用ページに並べるのは、制度が候補者へのメッセージになるからです。
王子HDのような素材・製造企業と、セガのようなコンテンツ企業では人材市場が異なります。それでも共通するのは、長期勤続の見返りを退職時にまとめて払うだけでは、人材への訴求力が弱くなっている点です。技能職には生活の安定、専門職には市場価値の向上、若手には学習機会と柔軟な働き方が求められます。退職給付は、その中の一要素として再配置され始めています。
転職時代に問われるポータビリティ
企業型DCや選択制DCが注目される背景には、ポータビリティがあります。退職一時金は企業内の勤続年数に強く結び付きますが、確定拠出年金は個人別管理資産として持ち運びやすい設計です。中途採用が増え、キャリアの途中で会社を移る人が珍しくなくなれば、持ち運べる退職後資産は働き手にとって重要になります。
厚労省調査でも、退職年金制度がある企業の支払準備形態では、確定拠出年金の企業型が50.3%、確定給付企業年金が44.3%となっています。2018年調査では企業型DCが47.6%、確定給付企業年金が43.3%でした。急激な変化ではありませんが、退職年金の中でDCが半数を超える状況は、企業が将来給付を約束する仕組みから、拠出額を定める仕組みへ少しずつ重心を移していることを示します。
ただし、ポータビリティは「退職給付の個人化」と表裏一体です。会社が退職時の給付を保証する比重が下がれば、働き手は自分の運用判断、拠出判断、税制理解を求められます。企業が制度を変更するなら、従業員に「自己責任で運用してください」と伝えるだけでは不十分です。入社時、昇格時、退職前の各段階で、資産形成教育を制度として組み込む必要があります。
制度移行で避けられない既得権と説明責任
退職一時金の廃止や縮小が難しいのは、既に働いている社員の期待権に触れるためです。長年勤めた社員ほど、退職給付を将来の生活資金として織り込んでいます。制度を廃止する場合、既発生分の扱い、経過措置、代替給付、給与への振り替え、税負担の変化を丁寧に設計しなければ、納得を得にくくなります。
厚労省調査では、退職一時金制度について過去3年間に見直しを行った企業は7.9%、今後3年間に見直し予定がある企業は6.7%です。数字だけを見ると、制度変更はまだ少数派です。だからこそ、大企業が退職一時金の廃止へ踏み込む意味は大きくなります。制度が残っている企業の大半にとって、今後の比較対象になるためです。
見直しの中身も一様ではありません。厚労省の表では、過去3年間の退職一時金制度見直しで「新たに導入又は既存のものの他に設置」が30.0%と最も高く、今後3年間の予定でも34.2%です。一方で、「退職一時金を縮小又は廃止し毎月の給与を拡大」や「全部又は一部を年金へ移行」も選択肢として示されています。つまり、改革は単純な廃止ではなく、給与、年金、選択制、加算制度を組み合わせる設計問題です。
労使コミュニケーションでは、制度変更の目的を「会社の負担軽減」とだけ説明しないことが重要です。採用力を高めるのか、若手へ報酬を前倒しするのか、中途人材との公平性を整えるのか、運用リスクを誰が担うのかを明確にする必要があります。退職給付は、社員が会社に抱く長期的な信頼と直結します。説明を誤れば、制度上は合理的でもエンゲージメントを損ねます。
経営者と働き手が点検すべき退職給付の論点
退職一時金廃止の本質は、退職時の大きな給付をなくすことではなく、報酬をいつ、誰に、どのリスク配分で届けるかを問い直すことです。王子HDの改革は、製造現場の人員確保、専門人材採用、国内外の人材ポートフォリオ変化と連動しています。セガの公開資料は、退職給付が採用広報や柔軟な働き方の一部として見られる時代を示しています。
経営者は、退職給付を財務上の債務だけでなく、人材市場へのメッセージとして点検すべきです。若手、中途、シニア、現場技能職、専門職で制度の価値は異なります。働き手も、退職金の有無だけで会社を比較するのではなく、給与への前倒し、企業型DC、教育投資、福利厚生、転職時の持ち運びやすさを合わせて見る必要があります。
退職給付改革は、今後も一気に進むというより、業種や人材競争の強さに応じて段階的に広がる可能性が高いです。注視すべきは、廃止という言葉の強さではなく、代替される報酬が本当に働き手のキャリアと老後資産を支える設計になっているかです。
参考資料:
- Human resources management | Social | Sustainability | Oji Holdings
- Integrated Report | IR Library | Investor Relations | Oji Holdings
- Oji Group Integrated Report 2025 Strengthening Management Foundations
- IR Library | Investor Relations | Oji Holdings
- Benefits | SEGA Careers Site | SEGA CORPORATION
- Initiatives that Promote Flexible Work Styles | SEGA Careers Site | SEGA CORPORATION
- Opportunities for Employees to Grow | SEGA Careers Site | SEGA CORPORATION
- Employment Information | SEGA SAMMY HOLDINGS
- SOCIAL | ESG | Sustainability | SEGA SAMMY HOLDINGS
- INTEGRATED Report/Annual Report | SEGA SAMMY HOLDINGS
- 令和5年就労条件総合調査 結果の概況 | 厚生労働省
- 令和5年就労条件総合調査 退職給付(一時金・年金)制度
- 令和5年就労条件総合調査 退職給付(一時金・年金)の支給実態
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